今月の言葉

1号
マザー・テレサ
「愛の反対は憎しみではない。愛の反対は無関心である。」
2号
アントニー・デ・メロ「心の歌」
私の態度のほかに、変わったものは何もなかった。
それだからこそ、すべてが変わったのだ」
3号
マザー・テレサ愛を語る
私は決して群集の面倒をみません。
もし群集をみていたら、きっと私は何も始められないでしょう。
ただひとりの人だけをみます。
愛はいつも旬の果物なのです。
4号
アントニ−・デ・メロ著「心の歌」
わたしは宝物
いつか、どこかで、だれかが、
見つけてくれる。
5号
アントニ−・デ・メロ著「心の歌」
一粒の雨の音に心をとどめてみよう。
そうすれば、人類の歴史に及ぼす
自分の人生の意味がわかるだろう。
6号
マザー・テレサ
「マザ−・テレサのことば」 しおり
「たいせつなことは、どれだけたくさんのことや
偉大なことをしたかではなく、
どれだけ心をこめてしたかです」
7号
マザー・テレサ
「マザ−・テレサのことば」
「親切で慈しみ深くありなさい。
あなたに出会った人がだれでも、まえよりももっと気持ちよく、
明るくなって帰るようになさい。」
8号
マザー・テレサ
「愛のこころ最後の祈り」P21
世界にはたくさんの苦しみがあります。
ほんとうに、とてもたくさん
物質的な苦しみは、飢餓や家のない苦しみをはじめ、
さまざまな病気などからもたらされます。
しかし、最も大きな苦しみは、やはり孤独です。
愛されていないと感じることですし、
だれ1人友がいないということなのです。
9号
マザー・テレサ愛を語る
私たちはキリストと共に苦しまなければなりません。
だから、貧しい人々の苦しみを分担するのです。
シスタ−たちがキリストと共にその苦しみの中を歩かなかったら、
そしてシスタ−たちがもう貧しくなくなったら、
私たちの修道会は私の生きているうちにも消えてしまうかもしれません。
10号
アントニ−・デ・メロ著「心の歌」
精いっぱい生きる日がもう1日与えられているとは、
なんと幸いなことだろう。
11号
マザー・テレサ
「愛のこころ最後の祈り」P27
きのうは去りました。
あすはまだ来ていません。
わたしたちにはただ、きょうがあるのみ。
さあ、始めましょう。
12号
マザー・テレサ愛を語る
にっこり笑うだけでどんなに大きな善いことができるか、
私たちには決してわからないでしょう
13号
アントニ−・デ・メロ著「心の歌」
大自然―――かくもはかなくもろい。
たえず消滅に瀕しているからこそ、
かくも生き生きとしている。
14号
マザー・テレサ愛を語る
静けさは、
あらゆることに対する新しい視線を
>私たちに与えてくれます。
15号
マザー・テレサ
「マザ−・テレサのことば」
自分たちの今していることは、
大海の一滴にすぎないと思っています。
けれど、もしその一滴がなかったら、
大海もその一滴のぶんだけ少なくなってしまうでしょう。
16号
マザー・テレサ
「マザ−・テレサのことば」
わたしは、
不親切で、冷淡でありながら奇跡を行うよりは、
むしろ親切と慈しみのうちに
間違うほうを選びたいと思います。
17号
マザー・テレサ
「マザ−・テレサのことば」
苦しみを感じることのないようなかかわり方をするなら、
私たちの仕事は、
社会事業とまるで同じことになってしまいます
18号
箴 言
第3章5節〜6節
心をつくして主に信頼せよ、
自分の知識にたよってはならない。
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
19号
箴 言
第27章1節
あすのことを誇ってはならない。
一日のうちに何がおこるかを
知ることができないからだ。
20号
ルカによる福音書

第6章41節
なぜあなたは、自分の兄弟の目にあるちり屑を見て、
自分自身の目にある梁には気がつかないのか。
21号
箴  言
第12章 第1節
戒めを愛する人は知識を愛する、 懲らしめを憎む者は愚かである。
22号
マタイによる福音書
第7章 第7節〜第8節
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見出すであろう。
門をたたけ、そうすれば、開けてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見出し、
門をたたく者は開けてもらえるからである。
23号
ぼくの「星の王子さま」
ぼくの「星の王子さま」へ P.293
ぼくたちはいつもあまりにも小さな空間や時間の中で暮らしているので、
「宇宙という大自然の中で、いのちはみんなつながっている」っていうことを、
ときどき忘れそうになります。
そうすると、なんだかとても寂しくなったり、悲しくなったりしてしまいます。
だからそんなときには夜空を見上げて、
「星の王子さま」のことを思い出すようにするのです。

ぼくの「星の王子さま」へ P.293
24号
マタイによる福音書
第6章 第34節
あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
25号
ルカによる福音書
第12章39〜40節
家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、
自分の家に押し入らせはしないであろう。
あなたがたも用意していなさい。
思いがけない時に人の子が来るからである。
26号
マザ−テレサの言葉
マザ−・テレサ 愛のこころ最後の祈り
大きなことをできる人たちはたくさんいます。
でも、小さなことをしようとする人は、
ほんの一握りしかいないのです。
27号
マルクス・アウレリウスの言葉
自省録10章16
良い人間のあり方如何について
論ずるのはもういい加減で切り上げて
善い人間になったらどうだ。
28号
マザ−・テレサの言葉
愛のこころ 最後の祈り P20
平和は、ほほえみから始まります。
笑顔なんかとても向けられないと思う人に、
一日に五回は、ほほえみなさい。
平和のためにそうするのです
29号
イザヤの予言
イザヤ第55章第1節〜第2節
渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。
銀を持たない者も来るがよい。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め、
値を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い
飢えを満たさぬもののために労するのか。
わたしに聞き従えば
良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
30号
オイディプス
終幕におけるコロスの合唱P133
おお、祖国テ−バイに住む人びとよ、心して見よ、これぞオイディプス、
かっては名だかき謎の解き手、権勢ならぶ者もなく、
町びとこぞりてその幸運を、羨み仰ぎて見しものを、
ああ、何たる幸運の荒波に、呑まれて滅びたまいしぞ。
されば死すべき人の身は、はるかにかの最後の日の見きわめを待て。
何らの苦しみにもあわずして、この世のきわに至るまでは、
何びとをも幸福とはよぶなかれ。
31号
箴言
 第11章1節〜4節
偽りのはかりは主に憎まれ、
正しいふんどうは彼に喜ばれる。
高ぶりが来れば、恥もまた来る。
へりくだる者には知恵がある。
正しいものの誠実はその人を導き、
不真実な者のよこしまはその人を滅ぼす。
宝は怒りの日に益なく、
正義は人を救い出して、死を免れさせる。
32号
マタイ
 第5章14節〜16節
あなたたちはこの世の光である。
山の上にある町は隠れることができない。
人々はともし火をともした後、
それを枡の下に置きはしない。
むしろ燭台の上に置く。
そうすればそれは、
家の中にいるすべての者を照らすのである。
このように、あなたたちの光が人々の前で輝くようにせよ。
33号
ルカ
 第21章34節
あなたがたが
放縦や、泥酔や、世の煩いいのために心が鈍っているうちに、
思いがけないとき、
その日がわなのようにあなたがたを捕らえることがないように、
よく注意していなさい。
34号
ルカ
第11章34節〜35節
あなたの体のともし火は目である。
目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、
濁っていれば、体も暗い。
だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。
あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、
ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、
全身は輝いている。
35号
マタイ 第7章15節〜16節
箴言11章30節を合成
にせ預言者を警戒せよ。
彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところにくるが、
その内側は強欲なおおかみである。
あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。
正しい者の結ぶ実は命の木である。
36号
箴言
12章15節
愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、
しかし知恵ある者は勧めをいれる。
37号
アッシジのフランシスコ
「平和のための祈り」の中の一節
ああ 主よ
われをして
慰めらるるを求めずして 慰むることを求めしめ
理解さるることよりも 理解することを
愛さるることよりも 愛することを
求めしめたまえ
38号
ヨハネ
第10章11節−12節
わたしは良い羊飼いである。
良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、
おおかみが来るのを見ると、
羊を置き去りにして逃げる。
39号
ルカ
第18章16節−17節
子供たちをわたしのところに、来させなさい。
妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。
はっきり言っておく。
子供のように神の国を受け入れる人でなければ、
決してそこに入ることはできない。
40号
マザ−・テレサのことば
愛の運び手
 仕事を誇ったり、自慢する心があってはなりません。
 仕事は神のわざであり、貧しい人は神の愛しておられる貧しい人です。
 あなた自身をイエスの導きに全く任せなさい。
 そうすれば、あなたのうちでイエスが考え、
 あなたの手をとおしてご自分のわざをなさいます。
 あなたを強めてくださるお方とともになら、何でもできるようになるのです。
41号

詩 篇
第22編 第1節〜第3節
 わが神、わが神、
なにゆえたしを捨てられるのですか。
なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、
わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
わが神よ、わたしが昼よばわっても、
あなたは答えられず、
夜よばわっても平安を得ません。
しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる
あなたは聖なるおかたです。
42号

マタイによる福音書
第7章 第17節〜第20節
すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。
良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。
このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。
43号

マルコによる福音書
第8章 第24節〜第38節
だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、
わたしに従ってきなさい。
自分の命を救おうと思うものはそれを失い、
わたしのため、また福音のために、
自分のいのちを失うものは、それを救うであろう。
人が全世界をもうけても、自分のいのちを損したら、なんの得になろうか。
また、人はどんな代価を払って、そのいのちを買いもどすことができようか。
邪悪で罪深いこの時代にあって、
わたしとわたしの言葉とを恥じるものに対しては、
人の子もまた、
父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、
その者を恥じるであろう。
44号

マルコによる福音書
第25章 第37節〜第40節
そのとき正しい者たちは答えて言うであろう。
『主よ、いつ、わたしたちは、
あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
すると王は答えて言うであろう、
『あなたがたによく言っておく。
わたしの兄弟であるこれらの最も小さな者のひとりにしたのは、
すなわち、わたしにしたのである。』
45号

イザヤ
第53章 第2節〜第7節
 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの従うべき美しさもない。
 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるにわれわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼は自ら懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
 われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
46号

ヨハネ黙示録
第6章 第8節
見よ、青白い馬が出てきた。
そして、それに乗っている者の名は「死」と言い、それに黄泉が従っていた。
彼らには、地の四分の一を支配する権威、
および、つるぎと、ききんと、死と、地の獣らとによって人を殺す権威とが、
与えられた。
47号

マルコによる福音書
第21章 第34節
あなたがたが放縦や、泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、
思いがけないとき、その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、
よく注意していなさい。
48号

マルコによる福音書
第2章 第23節〜第27節
ある安息日に、イエスは麦畑の中をとおって行かれた。
そのとき弟子たちが歩きながら穂をつみはじめた。するとパリサイ人たちがイエスに言った、
「いったい、彼らはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのですか」。
そこで彼らに言われた、
「あなたがたは、ダビデが何をしたか、まだ読んだことがないのか。
すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、
祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また共の者たちにも与えたではないか」。
また彼らに言われた、
「安息日は人のためにあるもので、人が安息日のためにあるのではない。
それだから、人の子は、安息日にもまた主なのである」。
49号

イザヤ
第43章 第18節〜第19節
初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。
見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。
あなたたちはそれを悟らないのか。
わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。
50号

ルカによる福音書
第5章 第37節〜第39節
だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。
もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、
そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。
新しいぶどう酒は新しい皮袋にいれるべきである。
まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。
『古いのが良い』と考えているからである。
51号

伝道の書
第7章 第29節
伝道者は言う、
見よ、わたしが得た事は、ただこれだけである。 すなわち、
神は人を正しい者に造られたけれども、
人は多くの計略を考え出したことである。
52号

箴言
第6章 第16節〜第19節
主の憎まれるものが六つある。
否、その心に、忌みきらわれるものが七つある。
すなわち、高ぶる目、偽りを言う舌、
罪なき人の血を流す手、
悪しき計りごとをめぐらす心、
すみやかに悪に走る足、
偽りをのべる証人、
また兄弟のうちに争いをおこす人がこれである。
53号

マタイによる福音書
第5章 第13節
あなたがたは、地の塩である。
もし塩のききめがなくなったら、何によってその味を取りもどせようか。
もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
54号
ルカによる福音書
第12章 第54節〜第56節
なたがたは、雲が西に起こるのを見るとすぐ、にわか雨がやってくる、と言う。
果たしてそのとおりになる。
それから南風が吹くと、暑くなるだろう、と言う。
果たしてそのとおりになる。
偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、
どうしていまの時代を見分けることができないのか。
55号
マルコによる福音書
第12章 第29節〜第31節
「第一のいましめはこれである、
『イスラエルよ、聞け、主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
第二はこれである、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
これより大事ないましめは、ほかにない」。
56号
「ブラザ− サン・シスタ− ム−ン」挿入歌から
アッシジのフランシスコの教会再建の場
映画開始から57分ごろ
夢をまことにと思うならば、あせらずに築きなさい。
その静かな歩みが遠い道を行く。心を込めれば全ては清い。
この世に自由を求めるならば、あせらずに進みなさい。
小さいことにも全てを尽くし、飾りない喜びに気高さが住む。
日ごとに石を積み続け、あせらずに築きなさい。
日ごとにそれであなたも育つ。やがて天国の光があなたを包む。
57号
マタイによる福音書
24章 37−39・43−44
人の子が来るのは、ノアの時と同じである。
洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、
人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。
そして洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気づかなかった。
人の子が来る場合も、このようである。
家の主人は、泥棒が夜のいつごろやって来るかを知っていたら、
目を覚ましていて、みすみす自分の家に押し入らせはしないだろう。
だからあなたがたも用意していなさい。
人の子は思いがけない時に来るからである。
58号
ヨハネ第1の手紙
2章 15−17
世と世にあるものとを、愛してはいけない。
もし、世を愛する者があれば、父への愛は彼のうちにない。
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りは、
父から出たものではなく、世から出たものである。
世と世の欲とは過ぎ去る。
しかし、神の御旨を行うものは、永遠にながらえる。
59号
箴 言
第3章章 11−12
わが子よ、
主の懲らしめを軽んじてはならない、
その戒めを嫌ってはならない。
主は、
愛する者を、戒められるからである、
あたかも父がその愛する子を戒めるように。
60号
詩 篇 
第1巻 第1篇 1−3
悪しき者のはかりごとに歩まず、
罪びとの道に立たず、
あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
このような人は主のおきてをよろこび、
昼も夜もそのおきてを思う。
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、
その葉もしぼまないように、
そのなすところは皆栄える。
61号
マタイ 
第25章 第37節から第40節
主よ、
いつ、わたしたちは、
あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか。
すると、王は答えて言うであろう、
あなたがたによく言っておく、
わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
すなわち、わたしにしたのである。
62号
ルカ 
第22章 第31節から第34節
 「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
 シモンが言った。「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。
 するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。
63号
「風歩」
森山風歩著 P56
この親の元に生まれた事実は変えられない。
どう関係を作るかは自分で考え、変化させることはできる(はずだ)。
病気である事実はどうにもできない。
この体とどう付き合うかは、自分で決めていくことができる。
まず、できないこと、変えられないことが何であるのかをきちんとわかることが大切なのではないかと考えた。
事実をきちんと見極めて、認めること。
それができて初めて、次へ進むことができるのではないかと思ったのだ。
その「認める」、受け入れる、という行為が、「諦念」、諦めることだ、と思ったのだ。
64号
「釜ケ崎と福音」
本田哲郎著 P53

 宗教の関係者は「あわれみ」」とか「あわれみの心」などといって、それをよいことのように見ています。カトリック教会では、ミサで神に向かって、「主よ、あわれみたまえ」と連呼し、私たちも人に対してあわれみの心をもてるようになりたいと願います。しかし、あわれむ側は気持ちがいいかもしれないけれど、あわれまれる側のつらさを思おうとしないのです。大事なのはあわれみではなく、痛みの共感、「コンパッション」だと思います。沖縄の「チム グルサ」です。「チム」というのは肝、はらわた。それがきりきり痛んで、その人のことをほっておけない気持ちです。こういう感性をもつ人は炊き出しを準備して、「はい、並んでください」といいつつも、実は並んで食べなければならない本人には、それがつらいことなのだと気づくはずです。やはり働いて生活がしたい。たとえ安い賃金であったとしても。そうすればだれにも頭を下げなくていい。それが、貧しく、社会的に小さくされている仲間や先輩たちの本当の願い、思いなのです。

65号
「マザー・テレサ愛を語る」  支倉寿子訳 P57

  最大の罪は愛と憐れみをもたないことです。
 搾取されたり、脱落したり、赤貧の中にいたり、病気でこまっていたりする隣人を目にしながらおそるべき無関心でいることです。
 共労者のひとりひとりが、
 悲惨な世界におけるキリストの協力者となるよう求められているのですから、
 神と社会が自分に何を期待しているのか理解しなればなりません
66号
「マザー・テレサ愛を語る」  支倉寿子訳 P19

 私たちは祈っても望むものを得られないことがよくあります。
 それは何故かといえば、
 私たちの祈りはキリストを通って神に届くのですが、私たちの気持ちが、心が、キリストにしっかりと向けられていなかったからです。
 キリストに向けられた、心からの熱い眼差しこそが最上の祈りであることが少なくありません。
 「私はキリストを見つめ、キリストは私を見つめてくださる」というのが、もっとも完全な祈りです。
67号
マタイによる福音書  第10章第34節〜第38節

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。
平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、
嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
68号
ヨハネによる福音書  第1章第1節〜第4節

初めに言があった。言は主と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは。これによってできた。でたもののうち。一つとしてこれによらないものはなかった。
この言は命であった。そしてこの命は人の光であった。
69号
マザー・テレサ愛を語る P59

 私たちの隣人である貧しい人たちが時に餓死するようなことがあるのは、
神がその人たちのことを気にかけなかったからではなくて、
あなたや私が与えるべきものを与えなかったから、
神の手の中で愛の道具とならなかったからなのです。
キリストが、見すてられた人や放ったらかしにされた子供の中に、
あわれむべき姿で一度ならずいらしたにも拘らず、
私たちがそれに気づかなかったためなのです。
70号
ルカによる福音書
第17章20節〜21節

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、
イエスは答えて言われた。
「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また、『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。
神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
71号
マタイによる福音書
第26章40節〜41節

あなたがたはこのように、
わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。
誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。
心は燃えても、肉体は弱い
72号
マルコによる福音書
第12章28節〜31節

律法学者がイエスに質問した。
「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか。」
イエスは答えられた、
「第一のいましめはこれである。
『イスラエルよ、聞け。主なる私たちの神は、ただひとりの主である。
心をつくし、精神をつくし、思いを尽くし、力をつくして主なるあなたの神を愛せよ。』
第二はこれである。
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ。』
これより大事な戒めは、ほかにない。」
73号
道鏡恵端禅師の言葉

一大事と申すは、今日ただ今の心なり

吾れ世の人と云ふに、
一日暮らしといふを工夫せしより、
精神すこやかにして、又養生の要を得たり。
如何ほどの苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。
楽しみも亦(また)、一日と思へば耽(ふけ)ることあるまじ。
一日一日と思へば、退屈はあるまじ。
一日一日をつとむれば、百年千年もつとめやすし。
一大事と申すは、今日只今の心なり。
74号
箴 言
第30章7節〜9節

わたしは二つのことをあなたに求めます。
わたしの死なないうちに、これをかなえてください。
うそ、偽りをわたしから遠ざけ、
貧しくもなく、また富みもせず、
ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。
飽き足りて、あなたを知らないといい、
「主とはだれか」と言うことのないため、
また貧しくて盗みをし、
わたしの神の名を汚すことのないためです。
75号
箴 言
第24章第13節〜第18節

わが子よ、蜜を食べよ、これは良いものである。
また、蜂の巣のしたたりはあなたの口に甘い。
知恵もあなたの魂にはそのようであることを知れ。
それを得るならば、かならず報いがあって、
あなたの望みは、すたらない。
悪しき者がするように、
正しい者の家をうかがってはならない。
正しい者は七たび倒れても、また起き上がる。
しかし、悪しき者は災いによって滅びる。
あなたのあだが倒れるとき楽しんではならない。
彼のつまずくとき心に喜んではならない。
主はそれを見て悪いこととし、
その怒りを彼から転じられる。
76号
マタイによる福音書
第23章第27節〜第28節

偽善な立法学者、パリサイ人たちよ。
あなたがたはわざわいである。
たなたがたは白く塗った墓に似ている。
外側は美しく見えるが、
内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
このようにあなたがたも、
外側は人に正しく見えるが、
内側は偽善と不法とでいっぱいである
77号
ルカによる福音書
第22章第42節〜第44節
詩篇
第22編第1節

「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るにようにしてください。」
すると、御使いが天からあらわれてイエスを力づけだした。
そこでイエスは死にもの狂いになり、いっそう熱烈に祈られた。
そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
わが神、わが神、
なにゆえわたしを捨てられるのですか。
なにゆえ遠く離れてわたしを助けず
わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
78号
マタイによる福音書
第18章第12節〜第14節

あなた方はどう思うか。
ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、
九十九匹を山に残しておいて、
その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
もしそれを見つけたら、よく聞きなさい、
迷わないでいる九十九匹のためよりも、
むしろその一匹のために喜ぶであろう。
そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、
天にいますあなた方の父のみこころではない
79号
アメージング・グレイス物語P263

アメージング・グレース(なんと甘美なる響き)
道ならぬ私を救ってくださった。
かつて迷えし者が、今見出され、
闇を出て、光の中にいる。
神の恵みが私の心に畏れることを教えてくださり、
くだんの恐怖も消えた!
恵がどれほどありがたく思えたことか、
初めて祈ったとき。
七難八苦、数多の誘惑を乗り越え、
ようやくたどり着いた。
ここまで無事にこられたのも、神の恵み、
だから故郷にも連れて行ってくださるだろう。
80号
臨在録
岩波文庫 P97

諸君、まともな見地を得ようと思うならば、
人に惑わされてはならぬ。
内においても外においても、逢ったものはすぐ殺せ。
仏に会えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺し、
羅漢に逢ったら羅漢を殺し、
父母に逢ったら父母を殺し、
親類に逢ったら親類を殺し、
そうして始めて解脱することができる。
なにものにも束縛されず、自在に突き抜けた生き方ができるのだ。
81号
箴 言
第2章第1節〜第5節

わが子よ、もしあなたがわたしの言葉をうけ、
わたしの戒めを、あなたの心におさめ、
あなたの耳を知恵に傾け
あなたの心を悟りに向け
しかも、もし知識を呼び求め
悟りを得ようとあなたの声をあげ 銀を求めるようにこれを求め、
隠れた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば
あなたは主を恐れることを悟り、
神を知ることができるようになる。
82号
マザー・テレサ
愛を語る
57ページ

貧しい人たちの嘆きに耳をかたむける時、
好ましくないと考えられている人々、
愛されていない人々に対して特に注意を払わなければなりません。
今日の最も重い病気はレプラでも結核でもなく、
人から愛されていない、誰からも見棄てられている
と感じることなのです。
83号
箴 言
第11章第17節〜第18節

いつくしみある者はおのれ自身に益を得、
残忍な者はおのれの身をそこなう。
悪しき者の得る報いはむなしく、
正義を播く者は確かな報いを得る。
84号
箴 言
第1章第7節〜第9節

主を恐れることは知識のはじめである。
愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。
わが子よ、あなたは父の教訓を聞き、
母の教えを捨ててはならない。
それらは、あなたの頭の麗しい冠となり、
あなたの首の飾りとなるからである。
85号
エレミヤ書
第22章 第3節

主はこう言われる。
正義と恵の業を行い、
搾取されている者を虐げる者の手から救え。
寄留の外国人、孤児、寡婦を苦しめ、虐げてはならない。
86号
エレミヤ書
第22章 第13・15〜16節

不義をもってその家を建て、
不法をもってその高殿を造り、
隣り人を雇って何をも与えず、
その賃金を払わない者はわざわいである。
・・・・
あなたの父は食い飲みし、
公平と正義を行って、幸いを得たのではないか。
彼は貧しい人と乏しい人の訴えをただして、幸いを得た。
87号
創世記
第6章 第5〜7節

主は人の悪が地にはびこり、
すべてその心に思いはかることが、
いつも悪い事ばかりであるのを見られた。
主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、
「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。
人も獣も、這うものも、空の鳥までも。
わたしは、
これらを造ったことを悔いる」と言われた。
88号
エゼキエル
第33章 第11節

彼らに言いなさい。
わたしは生きている、と主なる神は言われる。
わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
むしろ、悪人がその道から立ち返って生きることを喜ぶ。
立ち返れ、立ち返れ、お前達の悪しき道から。
イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
89号
宮部みゆき おそろし
三島屋変調百物語事始

「何故、皆さんがあたしを助けてくださるんです?」
「お嬢さんが聞いてくださったからですよ」
我々の胸の痛みを。生きていたときにしでかした、愚かな過ちへの後悔を。
「聞いて、わかってくださった。お嬢さんの心の内で、涙を流してくださった。そんな酷い出来事は他人事だと、忌まわしい、愚かでくだらないと顔を背けたりなさらずに、
我が事のように悼んでくださった。」

90号
マイケル・S・コヤマ
魂の流木 P22

どんなに辛くても生き抜け!あらゆる障害を乗り越えて、生き抜くんだ!
お父さんの言う『生きる』というのは、『生き延びる』ということとは違う。
危険を恐れず生きろということだ。危険に立ち向かわないのは、
ただ生きながらえているということにすぎない。
本当に生きるために、生き始めるために
いつも危険かもしれない道を選べ!

92号
ウィリバーフォース氏のヴィンテージワイン
P.365

お気をつけなさい。
ワインを嗜むのはいいことだ。
私のように、愛好するのもまあいいでしょう。
ですが、
フランシスのワインに対する気持ちは愛好を越えている。
嗜む程度に留めておくよう気をつけなくてはいけません。
愛好することでさえいささか危険なのです。