パワハラと過労死と労災認定


自殺女性、「バイト掛け持ち」労災認定

 出版社2社で掛け持ちアルバイトをしていた東京都杉並区の女性(当時26歳)が自殺したことについて、東京労働者災害補償保険審査官が労災を認定した。東京過労死弁護団事務局長の尾林芳匡弁護士と女性の母親(55)が16日、明らかにした。
 女性は杉並区のコミック誌の出版社に社員として勤めていたが、2004年9月に新宿区の別の出版社にアルバイトとして採用された。このため杉並区の出版社では正社員でなくなり、10月は両社をアルバイトとして掛け持ちしたが、精神疾患となり、同29日に静岡県内の実家で自殺した。
 両親は「精神疾患による自殺は業務上の災害だ」として労災保険給付を申請したが、新宿労働基準監督署は06年1月に「業務と精神疾患に因果関係はない」と判断した。しかし、東京労働者災害補償保険審査官は、両社合わせた時間外労働が月147時間に及び、自殺前日に杉並区の出版社社長から兼業を約4時間もしっ責されたことを重視し、労災認定した。
 尾林弁護士は「生活のために複数の職場を掛け持ちする若者は増えており、それぞれの労働時間を加算した今回の判断は先例的な意義がある」としている。

(2007年5月17日 読売新聞)


 ここ数日、パワハラ関係の労災認定関係の記事が続けて載っていたのでyomiuri onlineでパワハラについて検索してみると、上司の暴言やいじめにより、うつ病から自殺に至った労働者家族が労災認定が認められず、不服申立や裁判に訴えた結果、労災認定を勝ち取り、さらに事業主また上司に対する損害賠償請求を求めていくというケ−スがいくつか見つかりました。これら以外に問題となっていないものが無数にあるのだろうと推測されます。
 なぜ、すんなりと労災認定がされない原因は、会社側がその事実を認めたがらず、労災申請を避けること例が多く見られます。自殺の原因は個人的な問題とされたことに対する故人の名誉回復のために遺族が独自に資料を収集し不服申立や裁判に訴えることになります。労災認定の次の段階として、会社側の不誠実さに対して安全管理義務違反として損害賠償請求をしていくことになります。当初から会社が問題意識を持って積極的に対処していれば新聞に載ることもなかったといえます。
 厚生労働省の調査によると、「心の病気」での労災認定件数は、
   2006年度労災認定された者は前年度比61%増の205人
   そのうち自殺者は57%増の66人(未遂1人)
で、いずれも過去最高であったと報告しています。こうした現状を憂慮して大阪商工会議所は昨年から「メンタルヘルス・マネツジメント検定試験」(注1)を始めています。
 ここに挙げた女性のばあい、過労により精神疾患症状を発症しているところにところにパワハラによるストレスが引き金となって自殺にいたったケ−スといえます。この記事に記載されているいくつかの語句を考えてみたいと思います。

【2社で掛け持ちアルバイト】
 2社掛け持ち勤務を禁止する法律的な規制はありません。アルバイトであれば掛け持ち就労は特別不思議なことでもないといえますが、正社員であれば、就業規則に「兼業禁止」(注2)が定められているのが一般的です。しかし、アルバイトですから適用される就業規則があったのか、または労働契約書で兼業禁止が定められていたかどうかという問題があります。しかし、そうした定めがあったとしてもその収入だけで生活が成り立たないようであれば「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。」(民法90条)に該当することになるでしょう。また、労働基準法は1日の労働時間を8時間としていることとの関係はどうかといった問題がありますか、これについては【両社合わせた時間外労働が月147時間】で触れます。

【東京労働者災害補償保険審査官】
 この記事の中ほどに、「労災保険給付を申請したが、新宿労働基準監督署は06年1月に「業務と精神疾患に因果関係はない」と判断した。」とあるように、一度は労災申請をしたが認められなかったため労働者災害補償保険審査官に対して不服申し立てをした結果、労災として認められています。労働者災害補償保険法の第38条に「保険給付に関する決定に不服のある者は、労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をし、その決定に不服のある者は、労働保険審査会に対して再審査請求をすることができる。」と定められています。裁判によらず、迅速に保険給付に対する不服処理をすることを目的に定められています。労働者災害補償保険審査官は各労働基準監督署を管轄する都道府県労働局に置かれており、労働保険審査会は厚生労働省におかれています。この流れを図示すると下記の通りとなります。(注3)また、雇用保険、厚生年金保険、健康保険、国民年金保険も同様の不服申し立ての体制がありますが、国民健康保険については、各都道府県に置かれている国民健康保険審査会に審査請求をすることになります。

【労災を認定】
 業務に起因する事故や病気が発生すれば、事業主は医療費や休業補償等に責任を負わなければなりません。大きな労災事故が起これば零細企業では費用負担に耐えることができませんし、労働者の生活も路頭に迷うことになってはいけませんので、労働者災害補償保険法によって救済が図られているといえます。こうしたことからアルバイトが一人でもいれば事業主は労災補償保険に加入する義務を負わされています。ただ、業務中であれば労災保険が適用されるかというと必ずしもそうではありません。労災認定されるためには、@業務と傷病との間に一定の因果関係があり、A労災保険の適用となる事業所に雇用されており事業主の支配・管理下にあることが必要となります。前者を業務起因性、後者を業務遂行性と呼びます。

【精神疾患】
「心理的負荷による精神障害に係わる業務上外の判断指針」が定められた1999年以来、精神疾患の労災申請が急増してきています。この記事と同じようなうつ病で自殺された方の労災認定の記事をよく見かけます。指針では、「労災請求事案の処理に当たっては、まず、精神障害の発病の有無等を明らかにした上で、業務による心理的負荷、業務以外の心理的負荷及び個体側要因の各事項について具体的に検討し、それらと当該労働者に発病した精神障害との関連性について総合的に判断する必要がある。」とし、10の項目に区分された対象となる疾病が定められ、判断要件として、(1)対象疾病に該当する精神障害を発病していること、(2)対象疾病の発病前おおむね六か月の間に、客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること、(3) 業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発病したとは認められないこと、の全ての要件を充たすことが求められています。

【両社合わせた時間外労働が月147時間】
 兼業している場合の労働時間の扱いと時間外労働が月147時間に及ぶことについての問題があります。
 まず、労働時間の問題ですが、労働基準法は、第32条で1日の労働時間を8時間を超えてはならないとし、第38条で「労働時間は、事業場を異にする場合においても、労働時間に関する規定の適用については通算する。」と定めていますので、両社での労働時間を合算して8時間を超える労働となるときには第36条の労使協定の締結が必要となります。また、通達で「法定労働時間外に使用した事業主は法第37条に基づき、割増賃金を支払わなければならない。」(昭23.10.14基収2117号)としています。いずれの事業主が割増賃金の支払者になるかは日ごとに違っているのではないかと推測されます。
 次に、時間外労働が月147時間に及ぶことについての問題点としては、過労死にかかる脳・心臓疾患の認定基準では、「発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強い。」と指摘していますし、「心理的負荷による精神障害に係わる業務上外の判断指針」でも、「恒常的な長時間労働は精神障害の準備状態を形成する要因となる可能性が高い」と指摘しています。彼女の場合、出版社の掛け持ちで、それぞれ締め切りに追われながら仕事をしていたことから残業が147時間となったと考えられますので、一般の労働者以上に過重労働によるストレスは凄まじかったのではないでしょうか。

【自殺前日に杉並区の出版社社長から兼業を約4時間もしっ責された】
 先にも見たように就業規則上また労働契約上の兼業についての規定がどうであったかも問題にもなりますが、そうした規定がなかったとしても、また事前に了承を得ていたとしても、兼業による過労で業務に支障がでているようであれば兼業に対する叱責・指導は当然のことといえます。労使共に労働契約に基づいた労働の提供、反対給付としての賃金の支払義務を負っています。それに加えて両者ともに信義則上の義務を負っています。労働者は適正な労働力を提供する義務がありますし、会社には労働者に対する安全配慮義務があります。そうした意味において社長の叱責は当然のことであったと考えられますが、4時間にも亘る叱責はあまりにも長すぎますし、安全配慮義務に基づいての叱責ではなく、過労による適正な労働契約義務を果たしていないことにかこつけたパワハラ的叱責だったのではと推測されます。そうだとすれば労災認定の判断材料にとどまらず安全配慮義務違反として損害賠償請求の対象にもなると考えられますが、ここでは触れられてはいません。
 いくつかの事項についてみてきましたが、非正規労働者の悲惨な就業状態は、「雇用融解」や「ワ−キング・プア」などの本を通じてしか実感することができませんが、15歳から24歳の年齢層の50%程度が非正規労働者といわれています。こうした状況は解消されないのではないかと悲観的に考えますが、少なくとも社会保険や労働保険の適用については、新しい制度を創設して救済する方向性があってもいいのではないかと思います。


(注1)

 この検定試験には、1種(マスタ−コ−ス)、2種(ラインケアコ−ス)と3種(セルフケアコ−ス)があり、1種は、社内のメンタルヘルス対策の推進を担当する人事労務担当者・管理者向けで、メンタルヘルス関係の施策の企画・立案・実施が出来るようになることを目標としています。2種は、管理職向けで、安全配慮義務に基づいた対応が出来るようになることを目的としています。3種は、社員自らが自己のメンタルヘルスの状況・状態を把握することを目的としています。

メンタルヘルスマネッジメント検定試験HP:http://www.mental-health.ne.jp/
(注2)

 「私企業の労働者は一般的には兼業は禁止されておらず、その制限禁止は就業規則等の具体的定めによることになるが、労働者は労働契約を通じて一日のうち一定の限られた時間のみ、労務に服するのを原則とし、就業時間外は本来労働者の自由であることからして、就業規則で兼業を全面的に禁止することは、特別な場合を除き、合理性を欠く。しかしながら、労働者がその自由なる時間を精神的肉体的疲労回復のため適度な休養に用いることは次の労働日における誠実な労働提供のための基礎的条件をなすものであるから、使用者としても労働者の自由な時間の利用について関心を持たざるをえず、また、兼業の内容によっては企業の経営秩序を害し、または企業の対外的信用、体面が傷つけられる場合もありうるので、従業員の兼業の許否について、労務提供上の支障や企業秩序への影響等を考慮したうえでの会社の承諾にかからしめる旨の規定を就業規則に定めことは不当とはいいがたい。」

(小川建設事件東京地裁 昭和57年11月19日)
(注3) 不服申し立て制度
不服申し立て制度