ケラメイコス 〜 陶工の町 84

酒を呑む器−48



 今NHKの9時のニュースが中国の美術品市場の特集をしています。経済に活気があると美術品に関心が向いていくのはどの国も同じかもしれません。日本でも経済復興に従い美術品への関心は高まり、心の余裕か、スティタスを求めてか、利殖を求めて群がるのかよく分かりませんが、猫も杓子も美術品に群がり価格を絵仕上げていきました。純粋に美術への関心があった人が堵の程度いたのでしょうか。画廊に行くと名前と将来的な価値を全面に出してきます。凄まじいところまで舞い上がった美術品も今では二束三文の価値しかなくなってしまいました。一般のオークションカタログを見ても、インターネットの状況をみてもまだ安くなるのではないかとの思いがあります。安くなれば良いわけでもありませんし、いい作品はそれなりに価格を維持して欲しいと思います。ただそれには収集する側がそれなりに作品の価値を評価する力を身につけなければいけないといえます。作家の名前で作品の価値が決まるものではなく、作品のレベルがどうかということを真っ先に考えなければいけませんし、傷のあるなしも当然問題かもしれませんが、作品がよければ少々の傷は問題もないといえますし、当然価格は安くなりますので、その当りのバランス感覚が必要になるといえます。上手な金や漆の直しはそれだけで一見の価値があるといえます。私は上手に直された金直しは一つの景色として美しいと感じてしまい完品よりは面白く感じられて仕方がありません。
 ここの右端に掲載したのは備前の森陶岳先生のぐい呑です。大窯以前のものと大窯の作品それぞれ一点づつ持っていますが、いいものが無いかと長年注意をしてきてもなかなか気に入ったものは出てきませんし、価格も自分の思いとの乖離が大きく触手が動きませんでした。そうした中にこの作品が出てきました。ヤフーオークションでした。落札予定価格を検討し、低い方であれば手を出してもいいと考えていたらそれよりもかなり安い価額で落札できてしまいました。作品の内容はトップクラスのものですから不思議な話です。しかしよく考えると窯印が無いからではないかと思い至りました。一目見て森陶岳先生のぐい呑と分かる作品ですからか窯印など必要なのでしょうか。私にとっては思いがけない掘り出し物となりました。以前、金重まこと先生のぐい呑でも同様の経験がありました。気にもならない程度の火膨れがあったからだといえます。こうした些細な点を問題として見逃すのはもったいない話といえます。
 長年収集しているとこのように作品との何かしら不思議な縁を感じてしまいます。左のものもそのような一つといえます。西岡小十先生からいただいたものです。一目見て先生の作品と分かるものですし、朝鮮唐津のぐい呑としてはレベルの高いものといえます。先生のところで購入したものよりはもらった物の方の作品のレベルが高いのも不思議な気持ちです。それなりに売り物にならない欠点がありますが、それ以上に魅力のあるものたちです。
 真ん中は川瀬忍先生の青磁のぐい呑みです。新しい試みの青磁を焼かれもので口の周りと高台の中に薬がかかっておらずその結果として胴に二本のピンク色の線が巡っています。川瀬先生の青磁としては鮮やかな空色であり今一つよさの分からないものです。この作品のあとに米色青磁に進み、ブルーに発色する鉄分を除いた青磁を焼かれていますが、手の出にくい価格帯になってきたのが残念です。
 百物語の世界ではありませんがモノには命が宿り主人を選んでいるのではと思う今日この頃です

  
西岡小十 朝鮮唐津ぐい呑 川瀬忍 青磁ぐい呑 森陶岳 備前ぐい呑
西岡小十 朝鮮唐津ぐい呑
川瀬忍 青磁ぐい呑
森陶岳 備前ぐい呑