ケラメイコス 〜 陶工の町 82

染付のお皿



 久しぶりにひろしま美術館に行ってきました。自転車をこの公園の中において買い物に行くためココに来たのでついでに覗いてみただけでした。常設展も幾つか新しいものに代わっており、ルオーの版画もマイヨールのスケッチに代わっていました。見慣れた絵もそのときの体の状況によって感じ方が全く違ってくるのでしょうか。先日から風邪気味で調子が悪いまま動き回っていたので見慣れた絵も感じ方が違ったものがありました。ヴラマンクの激しい絵が今日は何かしら見るのがきつく感じてしまい、一方今まで関心も示さなかったシダネルの木に咲いたピンク色の花にの向こうに建物があり小さな窓に明かりがともっている絵に引かれ、暗い画面の中に仄かに浮かび上がる窓の明かりにホッとする気持ちになりました。若い頃はやきものの収集も激しい、目を引かれるものばかり集めていましたが、いつの間にか目立たない物のほうに関心が移っていっていました。ヤフーのオークションで値が撥ねるのもそのようなものばかりです。皆こうした段階を踏んでいき、自分なりの好みに落ち着くのかもしれません。
 ぐい呑などは使う機会は少ないでしょうが食器はそれと比較すれば遥かに多いでしょうし、好みの食器で食事をすることは楽しい気持ちにもなりますし、ホットするようなところもあります。いい食器を使っているのかというとそうではなく、どこかでもらってきた食器を使っているのが寂しい限りですが、何時の間にか愛着がわいてこれを食べるときはこれ、あれを食べるときはあれと使い分けが出来てしまっています。好きな食器を使えばいいのですが、普段はどのようなものがあるのかも忘れていますし、使おうと思いながらも週間に流されています。古伊万里の器がいいと思い探しますが、なかなか手ごろなものがなく、指をくわえているばかりですが、長い間には幾つか集まってきています。しかし傷物ばかりということですが・・。傷物の楽しみの一つにどのような直しをしているのか、良い直しか、程度が悪いかがあります。程度が悪いものよりは欠けたままのほうがまだいいように思えます。ココあげたお皿は6寸から7寸のお皿で、朝のパンを載せようと思って買ったもので、実際に使用していたら真っ二つに割れてしまいました。長年の傷があったのでしょう。直そうと思いながら未だ情けない姿をさらしています。
 左が萩唐草で、周りの部分の図柄で、この中に花が幾つか描かれていれば花唐草と呼ばれ、人気の高い図からといえます。色合いが薄いのが今一つかもしれません。古伊万里のお皿は平らな部分が結構厚いので手取りが重く感じます。
 真ん中は蛸唐草と呼ばれるもので、昔はゲジから草などと呼ばれ人気がなかったものらしいのですが今は人気の高いものです。確りと描かれ、呉須の発色もいいのですが、大きく3つに割れたものを継いでいるのが欠点です。茶碗なら漆で継いでその上に金粉を巻くのですが、雑器となるとそのような高価な直しではなくガラスの粉を溶かして継いであります。当然継いだ部分は盛り上がっています。父が子供のころは中国人がこの直しに廻っていたという話を聞いたことがあります。この直しの方法は焼き継ぎと呼ばれあまり直しが目に付き難いところもあります
 右のものは墨流しという技法で薄く均一に呉須が掛けられています。白く模様になっている部分に墨なり、蝋を塗っておき、その上に呉須で絵を書くのではなく顔料を流しかけ焼くと墨や蝋の部分が白く残るというものです。

  
古伊万里萩唐草 古伊万里蛸唐草 古伊万里墨流
古伊万里萩唐草
古伊万里蛸唐草
古伊万里墨流