ケラメイコス 〜 陶工の町 78

酒を呑む器−47



粉青沙器 李朝初期
初期李朝
 ここのところ李朝と呼ばるやきものに関心が向いています。前号でも紹介した白磁馬上杯もこの流れの中で買ったものでした。関心をもって見ているとこの馬上杯を始めこれまでの李朝のイメージとは違ったものが目に付いてきました。何事でも関心を持てばそれなりに全体像が見え始めてきます。労働関係の問題であれば実例を沢山手がけ、関連の本を集めて読んでいくことで、やきものの場合、数見ることにも増して、手元に置いて観察をすることをしなければ分からないことばかりといえます。手元に置いてとはマニアの自己弁護といってしまえばそれまでですが、手にとって見なければ、形や造り、釉薬の調子、土の情況、高台の削り方など全く分からないといえます。やきものの場合、ぐい呑などの雑器については参考になる本がまずありません。名品の図録等は多いのですが、それらと雑器は同列に論じられませんし、人それぞれ表現方法が違います。唐津焼では主要な窯からの出土品も多く窯の類推も確度が高くなりますが、韓国ではまだ発掘が進んではいないのかそうした本を見かけることがありません。そうなると邪馬台国論争と同じで、少ない知識を自分なりに組み合わせて妄想を膨らませる楽しみが出てきます。収集はヤフーのオークションが中心となります。李朝の発掘品を中心として出品する人が数名いますが、筋のいいものをコンスタントに出す人、新物、中国ものなど交えて出す人それぞれで楽しみに事欠きません。前回の馬上杯をはじめ今回のものは全て同じ方からのものですが、時期々々によって発掘の窯が違っていますし、直しが多くてがっかりしたこともありますが勉強代と割り切らざるを得ません。
 上のものは、他のものと明らかに違っています。高台をみると分かるように磁器ではなく陶器です。それも唐津といっても通用すると思いますが、土を見ると微妙に違っていますし、唐津の碁笥底や低く簡単な高大とは違い茶碗のようにガッチリと竹の節に削られています。こうしたものや三島、粉引や刷毛目などが粉青沙器と呼ばれ高麗青磁から白磁への移行期(1400年前後)に焼かれたといわれています。唐津焼はこれから200年近く後のことになります。
 下の左のものは韓国で出土した中国の白磁かとの思いも払拭できません。写真ではよく分かりませんが、全体が薄い水色で覆われ、非常にきれいなものです。ただ焼きが甘いため指ではじいても金属的な音はしませんし、細かな貫入も全面にみられ、口の部分は剥落しています。高台は丁寧に造られ、内側は浅く削られています。土は少し灰色がかった白色で柔らかい感じのものです。
 真ん中のものもこのようなものもあるのかと思うものでした。灰色の釉薬で非常に滑らかで艶やかな肌合いをしています。見込みには鏡が造られています。同様のものは高麗の緑色系の釉薬を掛けたものにもあるためその流れかもしれません。胎土は発掘時の赤い土がついていて分かりにくいのですが、左のものと同じ様に思えます。また高台も丁寧に削られ、竹の節状に、内側は極浅く削られています。
 右端は2つのものとは全く違っており、全体に雑で高台も大雑把な造りで、釉薬も緑がかった灰色ですし、土はざらついた鉄分の多いようなものです。用途が全く違っていたのではないかとも思えます。いずれにしてもこれらは李朝白磁への移行期の試行錯誤の時期のものとして楽しむことが出来ます。  ホ−ムぺ−ジには他の作品も展示していますのでご覧ください。


初期李朝 初期李朝 初期李朝
白磁ぐい呑
李朝初期
白磁ぐい呑
李朝初期
白磁ぐい呑
李朝初期