ケラメイコス 〜 陶工の町 76

湯のみ−6



 やきものの愛好家にとって毎日使うご飯茶碗や湯のみはどちらかというと関心が薄いといえます。むしろやきもの愛好家以外の方のほうがこだわりを持っているかもしれません。陶芸家にとってご飯茶碗を造る事はまず無いでしょうし、湯のみにしても造る数は極少数としかいえません。これらは実用品ではあっても美術品とは認識されていないからではないでしょうか。柳宗悦は「用の美」を提唱し、各地の風土に根付いたやきものの中にある使うための実用に即した美しさを再認識することを提唱して「民芸」という分野を開拓しまし、益子、小石原や壺屋など地方色豊なやきものが日の目を見ることになりました。しかし注目され、「民芸」というジャンルに括られることによりその美しさは形骸化していったとしかいえません。地域の需要に応えることから全国的な規模で販売することへ力点が移り画一化していたからといえます。そのような情況ではあっても窯場に行き色々な窯のものを比較すると中には目を引くものを見つけることが出来ます。造り手の気持ちの持ち方によるのだろうと思います。一品製作をしている作家でも商売が先に来ている人の作品は何かしら嫌らしさが感じられます。真面目に作陶している人のものはどれをとっても気持ちよく受け入れることが出来ます。作家がご飯茶碗や湯のみを造らないのは金額の問題もあります。抹茶茶碗と同じ手間を掛けても一桁違うからだと邪推しています。ここに掲載した3名はそうした意味では好感の持てる作家といえます。
 左のものは、信楽で、写真は少し細めに感じますが実際は大振りと言えます。灰の掛かり方も少なく緋色がよく出ています。火の当らなかった裏面は白っぽく上がっています。一見すると信楽は上手下手に関わらずそれなりに良く見えますが、いいものは意外と少ないといえます。この湯のみはこの作家と懇意な友人から貰ったものでどのような作品を造るのか良く分かりませんが素直な好感の持てる湯のみです。
 真ん中は備前の永末隆平先生のもので活動開始後間もない頃のもので20年ほど前に購入したものです。四角に造られ、写真の左側の窯変、右側の緋色そして裏側の黒く焦げた面と3つの色合いが楽しめ、ヘラ使いにも力強く、全体の雰囲気にも力がみなぎっています。当時、本屋さんで立ち読みした本の中でこれと同じような桃山時代のものを見ましたのでそれの写しかとも思います。しかし2年ほど前の展覧会に同じ手のものを出品されていましたが、全く力の無いものでがっかりしました。器用な作家なので若いときの意気込みを思いだして取り組んでいただきたい作家です。
 右端は、常滑のものです。常滑の読み方ですが通常「とこなめ」と読みますが、やきものの世界では「とこなべ」と読んでいます。焼き締めを中心とした窯場で自然釉の掛かり具合を楽しむものでしょうが、この湯のみは灰釉を内側全体と上半分に掛けており、自然の流れを楽しむことができます。これも23年前に購入したもので、見た瞬間に欲しくなったものでした。素直な筒型で胴紐が巡らされアクセントになっています。お茶を呑むためではなく焼酎を飲むのに良いのではないかと思ったものでした。「えくれしあ第74号」にぐい呑を掲載していますのでご参照ください。

 ホ−ムぺ−ジには他の作品も展示していますのでご覧ください。


皆川隆 永末隆平 竹内公明
信楽湯のみ
皆川隆
備前湯のみ
永末隆平
常滑湯のみ
竹内公明