ケラメイコス 〜 陶工の町 66

茶碗−5

 茶碗にはあまり関心がないのであまり持っていないと思っていたら、それなりにいろいろあることに気づきました。現代の作家のものについては目にする機会も多く、いいものを見れば当然に関心が呼び覚まされるのですが、お茶の世界とは無縁の生活を送っていますので、「良いけれども、いい値段がしている。」のでそれで終わりとなってしまいます。しかし、好きな作家のもので、自分の好みにしっかり合ったもので、手が出る程度のものであれば、触手が動いてしまい手元にやってくることになります。ただその場合も、観賞用だけのもの、例えば隠崎先生の削りだしたようなごつごつした使えないものには全く関心がありません。使えるもの、それもどちらかというとあまり大きくないものが。自分の好みなのかもしれません。「えくれしあ57号」の茶碗−2で紹介した原先生の黄瀬戸の茶碗2点は店に入った瞬間に「欲しい。」と思ったものでした。こうしたものが出てきたとても手が出ないのが現実ですから、指をくわえているのが正解すかもしれません。
 茶碗の古いものとなると真贋については全く分かりません。そうは云いながらも数見なければ分かるようになりません。ヤフーのオークションにもいろいろ出てきますが、眉に唾をつけなければならないものが多いように思います。古いものだから、発掘したものだからといって汚れているわけではありません。最近出来たような感じがあるのが普通です。美術館などで古い茶碗などを見ると時代を経てきた趣を持っています。数百年の時間をかけ使われ続けてきた結果としてそうした佇まいがあります。新しいものに時代付けがされたやきものは不自然ですし、姿かたちもそれなりの風格や品格が無く、いやらしさを感じてしまいます。中には、姿かたちの良いものに時代付けがされ桃山時代のものとされているとやきものがかわいそうになります。なにも処理をされなかったらそれなりに評価され、大切に使われ、育っていったのにと情けなくなります。骨董の世界は一事が万事こんな調子と考えても良いかもしれません。そうした中から本物を探そうといっても無理な話かもしれませんが、インターネットの世界が広がってきたことによって、全国、全世界からいろいろなものが出品されるようになってきています。玄人もいれば素人もいる。父親の集めたものが不要になったため、子供が出品したり、年をとったから、手放すといった形のものが増えてきていますので、こうした状況を見ていると「お店の値段はナンなのか。」と思ってしまいます。デパートや骨董屋さんの値段はナンなんだろうと不思議な気がします。インターネットの世界ばかりでも無く、一般のオークションでもそうですから・・。私もそろそろ出品する側に参加しなければ、近い将来、不燃物で捨てられてしまか、いつの間にか壊れてしまうのは確かです。
 左端のものは500年前くらいのベトナムのやきものです。ベトナムのホイアンという古い港町の沖合いに沈んでいる船から大量のやきものが引き上げられたものの一つと聞いています。中には貝殻の付着したり、泥にこすれて艶のないものも多いのですが、これは傷も少なく程度のいいものです。伏せて焼いたためか縁の釉薬が剥がされています。又高台の中にはチョコレート色の顔料で染められているのが特徴となっています。安南の染付けはほのぼのとした雰囲気があって楽しめます。
 真ん中は絵唐津の小振りな茶碗です。時代はないと思います。高台が低く削りだされ、鉄鉢形をした大好きな茶碗です。祖父のコレクションで残っている数少ない一つです。原爆で生き残ってきたのかどうかは不明ですが、原爆に遭わなかったら私の楽しみがいろいろ残っていただろうにと残念な思いがします。かなり使い込んでいます。見込みには振り物があり、削られていますし、胴には5cmほどのひびがあり、その周り1cmほどに雨漏りの貫入が入り景色を造っています。戦争前後のことで直しをする余裕もなく遣っていたお気に入りの茶碗だったのだと思います。
 右端のものは、李朝時代の無地刷毛目の鉢といったほうがいいものですが、茶碗としても使えないことも無いので茶碗としています。李朝時代は14世紀の終わりから600年間の時代がありどのころのものかは分かりませんが、それなりに時代はあるようです。写真を見て粉引と思われる方もいると思います。無地刷毛目というよび方は昔のお茶人が粉引と区別するため付けた名前です。粉引は高台の中まで、要するに器全体に白化粧をしているものを指します。このように白化粧が器の一部になされていないものを無地刷毛目と読んでいます。確かに、刷毛で塗っているのではないため刷毛目の跡が無いので無地刷毛目なのだろうと思います。唐津焼で口の周りに鉄釉を塗って黒くしたものを鯨を輪切りにした状態に似ているとして皮鯨と呼んだのもお茶人さんです。こうした言葉を集めてみるのも面白いかもしれません。この茶碗は白化粧が口のすぐ下で止まっており、一部が下に流れているのが面白いと主増す。また、茶碗の中、右側に細長く色が変わった部分がありますが、これは釉薬が掛けられておらず地肌がそのまま現れています。火間と呼ばれています。本来は、雑器ですから、大量に、手早く処理されたため、釉薬が掛からなかったものを、これもお茶人さんが、茶碗に見立てて、見所としたため現在では意識的に作られるようになった部分です。本来の茶碗のサイズではないため、雑な作業のため釉薬がかからなかったものではないでしょうか。現代の作家が、計算して、形を作り上げたものと違い、こうしたことをいろいろ思い浮かべながら楽しめるのが骨董の楽しさといえます。

 ホ−ムぺ−ジには他の作品も展示していますのでご覧ください。


安南染付茶碗 絵唐津茶碗 無地刷毛目茶碗
安南染付茶碗
絵唐津茶碗
無地刷毛目茶碗