ケラメイコス 〜 陶工の町 55
酒を呑む器−39 高取焼

 前回唐津焼のルーツである李朝を紹介しましたが、今回はその兄弟である高取焼を紹介します。秀吉の朝鮮出兵はやきもの戦争とも呼ばれています。当時は、茶の湯が盛んであり茶入一つで一つのお城価値があるともされ戦争での恩賞として領土の代わりにやきものが与えられた時代でもありました。茶の湯で使用されていたやきものは中国のものや朝鮮の井戸茶碗など盛んに使われ、紙型を朝鮮に送ってそのとおり造らせたりしていた時代でした。そうした時代ですから、朝鮮に出兵した殿様たちは陶工を連れてくることを当初から考えていたのではないかと思います。唐津焼、伊万里焼はもちろんのこと、山口の萩焼、熊本の高田焼(八代焼)や小代焼、鹿児島の薩摩焼(帖佐、竜門司、苗代川等)そして福岡の高取焼や上野焼などもそうです。それぞれ特色は違いますが、おなじような技法を用いています。山口の白萩は唐津の斑唐津と同じ藁灰釉を使っています。高取の古いものになると唐津と区別しにくいものも多く、本来は高取とすべき斑唐津の壺が唐津として伝わってきているものも多いようです。若いころ博多の古美術店でアメリカの美術館と商談中という斑唐津の壺を見せてもらい、高取かもしれないので調査中との説明を受けたことがありました。当時は発掘調査も進んでいなかったため判断に迷うところもあったでしょうし、唐津の方が高く売れるということもあり、怪しければ唐津を本籍とされてきた歴史もあります。同じようなことに古九谷か古伊万里か問題もありました。今では、かって古九谷とされていたものが古伊万里の古九谷様式が本籍とされた例もありました。
 高取焼は遠州流茶道の七窯の一つとして薄造りの茶入で有名です。窯場を何度か移動した後、小石原に落ち着き、一時途絶えていましたが昭和13年に高取静山が父とともに復興し、今も続いています。この奮戦記は「炎は海を越えて−高取焼再興奮闘記 高取静山著 平凡社」に詳しく書かれてしますが、すでに絶版のようですが、1980年にホルプ出版からホルプ自伝選集として出版されています。初代八山から数えて当代が12代八山を名乗っています。この窯にはじめて行ったのが30年ほど前で、まだ小石原焼も日田の小鹿田焼も素朴な半農半陶の生活が感じられましたが、いずれも商業化されてしまいました。しかしこの窯だけは昔のとおりの佇まいでいい雰囲気を持っています。昨年久しぶりに訪ねたところ少し厚みが増しており、僅かではありましたが手取りが重く気になりました。薄造りの湯のみや汁次を楽しみにしていたのですが残念でした。ベテランの職人さんが退職し、今は家族で造られておられる様なので元のようになるのに少し時間が掛かるかもしれません。しかし、釉薬には問題はありませんし、気になるレベルでもないため瀟洒なやきものとして大いに楽しめると思います。
 左端のものは竹の節をデザインした湯のみだと思いますが、小ぶりなのでぐい呑として使用しています。初期の高取は唐津の土とあまり違いがないのですが、今の高取はきめの細かい茶褐色の土を使用しているので唐津との違いが歴然としています。釉薬は藁灰で、唐津で言うところの斑釉となります。10年は前のものですから手取りも軽くできています。千円もしなかったはずですから、もう少し買っておけば良かったのに思います。
 真ん中のものは、鉄釉と斑釉を肩身代わりにかけ分けたものです。こうした色合いが典型的な高取焼の色合いかとも思います。薄造りのためお酒が思ったより入ってしまいます。
 右端は鉄釉だけを掛けたもので片口風の形をしています。先生の作品であれば高いのでしょうが、窯の作品は非常に安いのですが、レベルは高く、日常使いにもってこいと言えるものをたくさん造っています。欲しいのはお醤油を入れる汁次です。首と胴体を別につくり継いであるので食卓を汚すことがないのがいいところです。

 ホ−ムぺ−ジには他の作品も展示していますのでご覧ください。


高取焼 高取焼 高取焼
高取焼
高取焼
高取焼