ケラメイコス 〜 陶工の町 54
酒を呑む器−38 李朝

 昨年10月に小石原、唐津方面に旅行した話に続けて今年の1月からは唐津の話ばかりとなりました。今年最後の月になり、唐津の話も終わりにしようと思います。終わりにするというか唐津焼のご先祖様の話につなげていきたいと思います。
 唐津焼は太閤秀吉の文禄(1592〜1593)・慶長の役(1597〜98)以前から活動を開始していましたが、この二つの戦争を通じて渡来もしくは拉致された陶工によって唐津焼は大きな花を開かせました。山口県の萩焼、福岡県の上野焼、高取焼、熊本県の高田焼そして鹿児島の薩摩焼なども朝鮮人陶工によって開窯されました。伊万里焼もそうですが、これは磁器の原料が有田の泉山で発見されたことにより、唐津焼がいっせいに方向転換したというか、本来の仕事が出来るようになったといった方が正解なのかもしれません。これまで本来の技術を発揮できず、白磁に鉄砂の技術を唐津土の素材の特性に生かしたのかもしれません。そうだとすれば絵唐津と同じものが朝鮮の古いやきものの中にみられないのも納得できます。その結果、磁器の原料が発見されたことにより、李朝白磁や染付けが焼かれ始めたためごく初期の伊万里焼が李朝そっくりなのも理解できます。ただ、斑唐津は北朝鮮の会寧のやきものとの関連性がいわれていますので唐津焼の源流の一つの流れは北朝鮮にあるのかもしれません。従って、唐津焼のご先祖さまは白磁のやきものということになります。初期伊万里の柔らかな肌合いもいいのですが、李朝白磁の青みを帯びた肌合いに魅力を感じます。また木綿を洗いざらしたような肌合いにも惹かれてしまいますが、なかなか気に入ったものが見つかりません。お金を出せばいいのかもしれませんが、傷を厭わず気に入った肌合いと形のものとなると難しいようです。
 李朝の時代は李成桂が高麗の王位を簒奪し朝鮮と国号を定めた1393年から日本に併合された1910年までの約500年間を指しています。この期間を通じて白磁がやきものの主流を占めていましたが、官窯と民窯では精度また色合いで大きく異なっていたようです。分院と呼ばれるものが官窯のものですが、民窯の上手なものも分院と呼ばれているようです。楽しいものは民窯のものだと思っています。
 ここに上げたものは李朝白磁ですが、左のものは、唐津の作家が古い李朝白磁の耳盃を模して最近造ったものです。まだ訪問したことはない窯ですが、以前から少し気になっていた窯ではありました。九州電力の地域・社会強制活動の一環として「古唐津のルーツである韓国陶芸の技法の習得及び素材の研究」のテ−マで韓国に派遣されています。その成果として、「韓国の古窯跡をめぐり,陶片を観察し,その周辺の地質を調べ,古唐津との接点を探しました。現在は,古唐津の古窯跡の地質を調べ,その原料を使い,古唐津の再現を試みています。」と現在の活動状況を報告されていますので、その成果がこの耳盃なのでしょう。梶原さんの窯の名は、飯洞甕窯です。これは古唐津でももっとも古い窯の一つです。
 真ん中のものは、本来は小皿でしょうが、平盃として転用しているものです。鉄分がまだ残留しているためでしょうが全体に薄い青緑色の発色をしています。まだ白磁の開発段階といえるのでしょうが、真っ白のものよりは楽しめるようにも思います。この手は意外と安く手に入りやすいのが楽しみの一つです。
 右端のものは、李朝の終わり頃に近いものと思います。青い感じのある白磁で、全体に厚めに造られ、特に見込み部分は厚くなっているため手取りが重いのが難点といえます。しかし、お酒を飲むのには十分楽しめますし、李朝特有のホッとした気持ちを与えてくれる雰囲気をもった器です。李朝のものはあと一つか二つしかありませんので、楽しめるものをのんびり探していきたいと思っています。

 ホ−ムぺ−ジには他の作品も展示していますのでご覧ください。


李朝 李朝 李朝
李朝白磁写耳杯
唐津 梶原靖元
李朝白磁平盃
李朝白磁ぐい呑