ケラメイコス 〜 陶工の町 43
酒を呑む器−29 西岡小十−3

 唐津焼きは、朝鮮の技術が導入され、唐津市の周辺部分から武雄、有田、伊万里などの肥前一帯で焼かれていました。有田の泉山で陶石が発見され、陶器の唐津焼から磁器の伊万里焼に方向転換し、唐津焼は衰退していったというか取り残されていったというか、桃山時代から江戸初期にかけての名品は残されていてもこれ以降どのような状況であったか良く分かりません。唐津焼の本を見ても江戸時代以降の様子について触れたものがありません。消えてしまったわけではないでしょうが・・。しかし、藩の御用窯で土を水漉した細かな土を使って焼かれた献上唐津という瀟洒な感じの焼き物の一群があります。中里太郎衛門さんのお茶碗窯で焼かれていたもので、普通に唐津焼として理解されているものとは違うものといってもいいと思います。唐津市内の古い窯に小次郎窯があります。西岡先生はこれにあやかって同じ名前の窯を築かれました。後に、もう一つ小十窯も造られ二つの窯を運営されていました。
 古唐津の再現にかけては西岡先生の右に出る者がありません。古窯の発掘、今の時代では盗掘を多数手がけ陶片から得た知識をもとに復元に没頭されたわけですから当然といえば当然でしょう。古唐津の復元というよりもと陶片また物原に捨てられたものに美しさを見出し、それを西岡先生の美意識で復元を目指し、ひとめで西岡先生の作と分かるものを造られています。作為に作為を重ねた作品ですが、それを感じさせないすがすがしさが感じられるのは先生のひたむきな作陶姿勢からだといえます。常に土の話をされていましたし、どこにどんな土があるか頭の中にあり、自らそれを採取してこられていました。今の作家がパッと目を引くようなものを造っていますが、いやらしさを感じてしまうのは手先だけで弄繰り回しているからではないかと思えて仕方がありません。
 今回紹介するのは、朝鮮唐津という種類のものです。斑唐津と同じ藁灰釉と飴釉を掛け分けたもので、その入り混じったところの美しさを見るのかも知れません。藤の河内という古窯が名品を沢山焼いておりこの復元ということになります。今の作家たちが焼いている朝鮮唐津は西岡先生フォロワ−ズといってもいいかもしれません。西岡先生の作品の中で最も人気があるのがこの朝鮮唐津ではないでしょうか。
 左端のものは写真の取り方が悪いのでどっしりした感じが出ていませんが、非常にバランスがよく手になじみやすいぐい呑です。斑釉の流れ具合も良く、ブル−の入り混じった感じも良く、また飴釉が玉のように流れていい景色を作っています。口造りが薄く造られており冷酒向きかもしれません。
 真ん中のものも同じ手ですが、下から三分の一ぐらいのところに黒く飴釉がたまっていますが、これはここで胴が絞られているためです。口は外に向かって開かれています。左のものよりは大振りなものです。これら二つのタイプのぐい呑みは、今では誰でも造っていますが、古いものを見かけることはまずありません。西岡先生が広めたものではないかと思います。
 右のものは、湯のみとして造られ半端ものをいただいてきたものです。朝鮮唐津でも釉のかけ方が逆になっています。飴釉は皮鯨風に塗られており、高温で焼かれたためか、斑釉は薄くなり下方に流れて溜まっています。後日、朝鮮唐津ぐい呑で箱書きしていただきました。

 ホ−ムぺ−ジには他の作品も展示していますのでご覧ください。


西岡小十 西岡小十 西岡小十
西岡小十
朝鮮唐津ぐい呑
西岡小十
朝鮮唐津ぐい呑
西岡小十
朝鮮唐津ぐい呑