ケラメイコス 〜 陶工の町 42
酒を呑む器−28 西岡小十−2

 美術品を集めるということは、当然その対価がどうかという問題がつきまといます。高いから価値があるものでもないし、高名な先生の作品だから芸術性が高いということも無いはずです。しかし、現実には、先生の名前によって相場価格が決まっています。この相場価格がどこで決まるのかとなるとデパ−トの画廊等での個展の価格が相場価格ということになるのかもしれません。一方、ア−トオ−クション会社での落札価格というものもあります。両者の価格差はあきれるばかりとしか言いようがありません。本来、この落札価格が原価と考えればいいのかもしれません。また先生の元を訪れて直接購入する場合、個人には直接販売しない、個展価格による、非常に安い値段で価格設定をする、の三つの場合がありますが、これは先生の考え方ひとつとなります。西岡先生の場合は、最後の例で個展の価格と窯で購入する価格は大きく異なっていました。相場価格は過大評価だと思いますが、この背景には流通経路の問題もあるからでしょうが、デパ−トでも値引き交渉すれば20〜25%は負けてくれるということがあります。そうはいってもいいものであればそこで買っておかなければ二度と手に入らないということもあり高くても買わざるをえないのが現実でもあります。
 先日、小泉八雲の「果心居士の話」を読んでいると次のような文章がありました。「初めにご覧になった時は、この絵は価格のつけようも無い名画でした。しかしいま御覧になっておられる絵は、あなた様がお払いくださったお代だけの値打ち、すなわち金百両だけでございます。・・・どうしてそれ以上のことがございましょう」。(「怪談・奇談」講談社学術文庫)この話の前後は読んでいただくとして、芸術作品につけられた値段でその価値を決めてしまうのが世の常かもしれませんが、先生の名前や価格によらず自分の目で良し悪しを見極められるようになりたいと思います。しかし、良し悪しといったところで、商売をしているのではないので「自分が、好きか嫌いか」ということになります。勉強しながら集めているうちに自ずと見方も定まってきますし、買う対象も減ってきます。しかし物は残っているのでこれの扱いが問題となります。今死んだら、私のコレクションに関心の無い子供たちには迷惑な話で、不燃ごみで捨ててしまうか、そのうち割れて無くなってしまうでしょう。我が家で消滅させてしまうのは心苦しいので、バトンタッチしていく方法も考えおかなければいけないのかもしれません。
 今回は西岡先生が造られた斑唐津のぐい呑を掲載しました。これはわら灰を主成分とした釉薬による白濁した色合いを見せます。ブル−の斑紋やオレンジ色の窯変を示すものもあります。見込みにブル−の斑紋が見えるものが良いものとされてきました。農薬などの影響で昔の色合いとは違ってきているようです。萩焼で白萩と呼ばれるものと基本的には同じ技法となります。萩焼も唐津焼も秀吉の朝鮮侵略のとき拉致された朝鮮人陶工によりもたらされた技術です。
 左端のものは初めて西岡先生の小十窯を尋ねたとき買ったものです。かわいらしいぐい呑です。
 真ん中のものはやわらかい色合いでピンクの窯変がでており、胴に回された紐が全体を引き締めています。西岡先生の斑唐津としては最上位に属するものだと思います。
 右端のものは、山盃と呼ばれる形式のものであまり造られてはいないと思います。青みが強くでています。薪に釘が沢山入っていることの影響ではないかと先生は話されていました。意外と使い勝手のいいものです。釉薬にムラがあるためかいただいてきたものです。

 ホ−ムぺ−ジには他の作品も展示していますのでご覧ください。


西岡小十 西岡小十 西岡小十
西岡小十
斑唐津ぐい呑
西岡小十
斑唐津ぐい呑
西岡小十
斑唐津ぐい呑