ケラメイコス 〜 陶工の町 38
唐津紀行−1(高取・小石原)

 9月の22日から24日の3日間高取・小石原から唐津・有田方面に行ってきました。3〜4年ぶりの旅でしたが、悲しいこと、楽しいことといろいろありました。悲しいことは、小次郎窯がなくなってしまったことでした。2日目に訪問したら、どなたもおられず、陳列室にも何も無い状態だったので、後刻、ご子息良弘氏の凌雲窯で、1ヶ月前に小十先生が亡くなられたことを伺いました。30年ほど前から懇意にしていただき、唐津焼の話を聞くのを楽しみに年に1・2度は訪ねていましたが、加賀に窯を築かれて以降、お会いする機会がほとんど無かったのが残念です。インタ−ネットのオ−クションに感心しない作品が出ているのを不思議に思っていましたが、そのあたりの事情もいろいろ話していただけました。お元気であったころの作品を眺めながら、ご冥福をお祈りしたいと思っています。
 今回の旅行の経過を簡単に報告したいと思います。

 高取・小石原には特別関心もないのですが、同行者が行ったことがないのと、2泊の旅行で時間的なゆとりがあったので訪ねてみました。来てしまうと飛び鉋や打ち刷毛目のお皿に目がいってしまいながらも、こんな値段で大丈夫かと思ってしまいます。山登りの道路わきにある直売店と食堂が一緒にあるところで食事と見学をノンビリトし、窯元が集まっているあたりは車で通過しながら雰囲気を味わうだけで済ませました。高取焼きの静山窯で少し時間を使いすぎたからともいえます。ついつい話し出すと行程が頭の中から漏れてしまい、時間の観念がどこかに飛んでいってしまうのが困り物です。
 ここの窯は、秀吉の朝鮮侵略の際、拉致されてきた?朝鮮人陶工によって開窯され黒田藩の領内を転々とした後、ここに落ち着き、煙を上げてきていましたが、11代静山先生は、祖父が「高取焼は初代八山以来、殿さまの御用窯じゃ、御用がなくなった後も、身すぎ世すぎのために御用窯を使って商売しては申し訳のなか。黒田家累代の恩顧に背き、高取焼の祖先の名誉を損なうようなマネはできん!」との理由で廃窯されていたのを復興させ、後に初代の八山の供養のため朝鮮式のお墓を造られましので今回も見学(お参り)させてもらい、また現在の窯の状況など興味深い話を聞くことができました。土は行者杉あたりのものと福岡の土を使うこと、甕に入れて保存していること、また釉薬も甕に入れて保存しているとのことでした。釉薬を保存することにより発色がよくなるという事は初めて知りましたし、窯は、茶陶は穴窯で、食器類は登り窯で焼く。松の薪ではなく杉を使う方が発色がよくなるとのことでした。松では温度か上がりすぎたり、火力が強すぎ釉薬が流れてしまうこともあるとのことでした。薄い胎土の上で鉄釉と藁灰を高取独特の発色をさせる工夫なのでしょうか。唐津と同じ朝鮮の技法を使いながら遠州七窯の一つとしての作風を確立する上でのいろいろな創意工夫の結果だろうと思います。
 12代が亡くなった後、それまでいた職人さんが全て辞めてしまったため、過去に造っていた首と胴を組み合わせた汁次など造られなくなったことには残念な思いがします。当代は茶陶に専念し、雑器類は奥様が造られているとのことで、雑記の手取りや胎土の厚さ等に違和感を感じていましたがこの話を聞いて全て納得できました。

 ホ−ムぺ−ジには他の作品も展示していますのでご覧ください。


静山窯 静山窯 静山窯
静山窯
母屋
静山窯
陳列室
静山窯
甕による貯蔵