ケラメイコス 〜 陶工の町 32
酒を呑む器−21 

 やきもの好き、絵画好きなどのコレクタ−は自分の気に入った人の作品だけを集めているのかといったら必ずしもそうではなく、むしろそうしたコレクタ−のほうが少ないのではないでしょうか。そうは云っても好きな相手はいるでしょうが・・・。一般的には、手当たりしだい、名前の通った人の作品などを中心として手の届く範囲でということだと思います。父は油絵が好きでしたがまさにそうでした。父の好きな画家の作品は2枚しか持っていませんでした。しかも数ある中でも私の好みと一致した油絵はその画家の2枚だけでした。また、私が好きであっても父は嫌いだった画家もいます。前者は浮田克躬であり、後者は福井良之助でした。福井良之助の雪景を寂しいと見るかどうかとの違いで、「寂しいから買わない」ただそれだけでした。
 やきもののコレクタ−はどちらかと云うとぐい呑も、そば猪口、のぞき、古伊万里などに特化する傾向が強いといえます。絵画と違って低価格であり、圧倒的に作品が多いことによるといえるでしょう。コレクタ−それぞれの好みに応じて集めながらも、自分の好みではないけれども気になるものもあります。私にとって、今回掲載した隠崎隆一先生がそうです。注目を集めだしたころから名前は知っていましたが、まったく関心がありませんでした。その当時は全く使うことを考えていないオブジェでしかないと感じていたからでした。現在は使用することと造形感覚が近づいてきてはいますが、必ずしも使いやすいものばかりではありません。茶碗には、使える茶碗の域を超えて、使いたい茶碗も数は少ないながらもあり、それらは素晴らしいとしか言いようがありませんし、こんなものも造っているのかと驚かされます。備前の作家でありながら、備前にこだわらず、白や緑の釉薬を掛けたものなども焼いていますし、備前の作家とは一線を隔した立場で作陶されているように感じます。
 感心を持ち出したのは、実に単純で取引のある美術商の方が隠崎先生と懇意で直接作品が入る、すなわち安く手に入ることからといってしまえばそれまでですが、作品を手にしながら作陶の姿勢、作品の技法などを話していただくことから関心を持ち出したということになります。まだ、酒を呑んだこともないし、呑みたいとも感じたことはありませんが、食器棚に1個だけ置いて眺めています。それが左端のものです。面白い形をした作品です。こうした造形が先行したものは往々にして自己主張が激しく直にいやに成ってしまうのですが、これはそういうことも無く毎日見ていても見飽きないのは陶芸家としての仕事への取組姿勢また力量が優れていることからくるのでしょうか。
 あとの二点は白釉が施され、窯出後炭化させて肌を黒くし、その後白釉部分を磨きだしたものと聞いています。右端が極最近窯出しされたもので、真ん中のよく見受けるものとはかなり感じが異なってきています。


備前ぐい呑 白釉ぐい呑 白釉ぐい呑
備前ぐい呑
白釉ぐい呑
白釉ぐい呑