ケラメイコス 〜 陶工の町 31
酒を呑む器−20 

 前回の徳利で2点紹介した唐津の陶芸家藤ノ木土平さんのぐい呑みを取り上げてみました。最初から陶芸家を目指されていたわけではなく、画家を志しており何時のころか陶芸に関心を持ち、転向されています。唐津と美濃で勉強され、唐津で結婚され現在地に窯を築かれました。
 土平さんを知ったのは20数年前、たまたま母から掛け花入れを頼まれ、唐津城の向いの陶芸店に立ち寄ったところ土平さんの朝鮮唐津の掛花入れが目に付いたことからでした。当時、朝鮮唐津が上手いと感じる陶芸家としては西岡小十先生しかいなかったため大いに関心を持ち、窯を訪ねて以来の付き合いとなりました。当時は、長髪で無口で真面目な青年でした。今でも真面目さ、純真さは失われず、作品にそれがよく現れているといえます。沢山の友人を連れて行きましたが例外なく、土平さんのファンになり、リピ−タ−となっていることはそうした結果だろうと思います。
 インタ−ネツトのオ−クションでパッと目をひく作家の作品が個展の価格以上の高値をつけて落札されているのを見ると何かしらさびしさを感じると共に自分もそうだったと思ってしまいます。コレクタ−ほど馬鹿らしい輩もいないと思いながらもついつい買ってしまいます。第三者から見ると毎日鑑賞する楽しみがあって良いと思われるかもしれませんが、買ってしまえば仕舞い込んで大して関心を示さないのがコレクタ−といえます。「コレクタ−=収集家」ではなくて「コレクタ−=買うことが趣味」と定義できるといえます。良い事か悪い事か分かりませんが、コレクションをみればそれなりに人柄が分かるというか馬鹿さ加減が分かるのではないでしょうか。
 左端のものは、鉄釉をかけているようでもあるので朝鮮唐津といえないこともないかもしれません。これは出来損ないで、上から見るとへしゃげています。窯を焚く前には、窯の神様にお祈りをし、塩とお神酒を窯に奉げますが、その時にお酒を入れていたぐい呑が窯の上に残っていたので貰ってきたものです。写真では分かりませんが、なまめかしい色合いをした上がりのぐい呑です。
 真ん中のものも斑唐津で、こちらは片面に焦げがみられ、全体に黄色っぽく窯変しています。湯のみの様に大振りなもので、見込みがゆったりとしており、このぐい呑を使うとおおらかな気持ちになりますが・・土平さんみたいな底なしならいいでしょうが・・。これも窯の神様用のお下がりです。
 右端のものは朝鮮唐津で、手捻りで造られています。大振りなもので、豪快な感じに斑釉が流れています。手捻り特有のごつごつした感じはありますが、こうした作品にありがちな「これでもか、これでもか」といった押し付けがましさ、嫌らしさが感じられないところが、土平流ということになるのではないでしょうか。


斑唐津ぐい呑 斑唐津ぐい呑 朝鮮唐津ぐい呑
斑唐津ぐい呑
斑唐津ぐい呑
朝鮮唐津ぐい呑