ケラメイコス 〜 陶工の町 17

酒を呑む器−6〜白い器−2



    白い器というと、前回の白磁と粉引よりも、志野や白萩そして斑唐津などを真っ先に思い浮かべる方も多いのではないかと思います。

 今回は、志野について見ていきます。一概に志野といっても真っ白いものもあれば、鼠色をした鼠志野や赤志野もあるし、また、加藤唐九郎の「紫匂」と種別分けをすれば無数に出てくるのではないかと思います。しかし、一般的に、志野といえば、真っ白いものや白い釉薬の下から鬼板と呼ばれる二酸化鉄が酸化焼成されて赤く透けて見えるものを指しています。桃山時代ごろに焼かれ、以後、どこで焼かれたか不明でしたが、荒川豊三が、見聞していた筍の絵の入った茶碗と同じ手の筍の絵の入った小さな陶片を発見したことから美濃で焼かれていたと分かったといわれています。荒川豊三や加藤唐九郎が桃山時代の志野を復興させ、志野焼の双璧になっています。この二人は好対照で、荒川豊三は人間的にも、作風も穏やかな造りに対して、加藤唐九郎の作行の力強さ、人間的なアクの強さと好対照をなしていますが、加藤唐九郎の方が後世に残る数少ない作家の一人と考えています。また、トラブルメ−カ−としても有名な人で、加藤唐九郎が自分の造った壷を、当時文部技官であった小山富士夫に策略を仕掛け国宝に指定させ、後日指定取り消しとなった事件を起こしています。これを題材にした小説を10月に村松友視が新潮社から「永仁の壷」という書名で出しましたし、この経緯を追跡したものに松井覚進著「永仁の壷〜偽作の顛末」(毎日新聞社)があります。また、室伏哲郎著の「名匠無頼・加藤唐九郎」もあり、読まれると面白いと思います。

 この二人に続く集団が、やきものに関心を持ち出したころに売り出し中の、今、人間国宝になっている鈴木蔵と加藤卓夫そして若尾利貞、加藤幸造、安藤日出武や玉置保夫などが若手で頑張っていましたが、この世代に続く作家がどうも見当たらないような気がします。志野にあまり関心が無いから注意していないためかもしれませんが、志野の地よりも越前陶芸村の山田和の志野の作品に関心が向いてしまいます。純白といってもいいような白さを持ったものを焼くかと思えば、加藤唐九郎に「紫匂」の土を提供した人なので「紫匂」を思わせる味わいのある作品も焼いています。

 しかし、本筋のしっかり焼きしまった志野本来の味わいを持つ作品を焼いているのは黄瀬戸で押しも押されぬ地位を築いている原憲司の焼く志野だと思います。窯を一度訪ねたときは、まだ志野は焼いておられなかったのですが、数年して志野の作品も焼かれるようになり、電話で志野についての話をいろいろ伺いました。最初は、高台脇の削り具合などから鼠志野の「峰の紅葉」を意識されているのかと思っていたところ頭にある形は「通天」と呼ばれる志野茶碗とのことでした。それまでこの茶碗についての知識が無く写真を探してみたところ納得しました。造り方にしても、しっかり焼き締めているので醤油をいれても染みがつかない、土練機などで練った土と違い、今の形を引き上げるのがやっとだ、との話を聴きました。確かに、今造られている志野のようなボテッとした感じはなく、爪で弾くと磁器のような音がしますし、手で触れるとシャリンシャリンという音がします。形にしても、色合いにしても人の目を引き付けるようなものではありませんが落ち着いた飽きの来ないものを造られています。

原憲司 山田和 安藤日出武
志野ぐい呑 原憲司
志野ぐい呑 山田和
志野ぐい呑 安藤日出武