Drifting too far − 6
 祈り−2

 先日、早めに事務所を出て「ダビンチ・コ−ド」という映画を見に行きました。特別関心があったわけではなく、映画のタダ券がもう少しで期限切れになるとの理由であり、連休明けから開店休業状態で時間があったし、見る映画は何でも良かったのですが、他に関心を引く映画がなかったという理由だけでした。この映画がイエスに関する話というのは分かっていましたが最後になって、イエスに子供があり、その血筋が続いており、しかもそれを守っている結社があるという内容をサスペンス仕立てにしたものでした。映画自体それなりに楽しめました。この映画の中に、テンプル騎士団とオプス・ディという二つのキリスト教の団体の名前が出てきました。テンプル騎士団はエルサレムをイスラム教徒から奪回するために設立された過去に無い軍事的な修道院組織として、現代的な組織制度を確立し権勢を誇った騎士団だったといわれています。過去形なんですが、カトリック教会やヨ−ロッパの諸侯との軋轢から異端として殲滅された修道会組織でした。もう一つのオプス・ディはスペインで始まった在俗の修道者組織といったものだと思います。修道院に入りそこを拠点として活動を行うのではなく、普通の社会人として職業をもちながら修道生活も行うといったものだったと思います。ただ、この映画ではテンプル騎士団とともに悪の塊、反社会的行動をする団体との印象を与えるもののように感じました。この二つの団体について詳しく知りたい方は、次の本を参考にしていただければと思います。

   聖堂騎士団                 篠田雄次郎著       中公新書
   オプス・デイ 〜 カトリックの新しい動き〜 ドミニック・ル・トゥルノ−著  文庫クセジュ

 この二つの団体は自分たちの「祈り」の実践としてそれぞれの得意分野で「祈り」や信仰を実現しようとしていたのではないでしょうか。しかし、私にとって「祈り」とは分かったようでわからないものなのですが、自分のためなのか、神との関係づくりなのか、そうしたものが交じり合ったいろいろな内容を持ったものだろうといえます。ただ、それをことさら難しく考えているだけにすぎないのですが・・。この原稿をつくらなければと思いながら、締切目前となったとき、古本屋さんで「祈りと秘跡」という文庫本が目に付き買ってみました。いま、著者を調べてみたら福岡教区の松永久次郎司教様が18年前に書かれたもので、しかも6月2日に急逝されたとのことでした。こうした出会いは偶然といってしまえばそれまでですがやはり神の摂理と捉えてしまいます。この偶然でこの原稿が書けているのですから・・。

 「祈りと秘跡」の冒頭に「お祈りは、信者の私たちのいわば信仰生活、いわば魂の奥底の宗教体験です。」と書かれています。また、「もともと、お祈りとは、あらたまった、よそ行きのことがらを言うのではありません。私たちの信仰が姿・形をとったもの、信仰がかたまって体になったようなもの、これがお祈りなのです。信じる人の生きざまそのものがお祈りなのです。」とあります。この本に出会ったように、何か書かなければいけないという脅迫観念というか、一つのことに向った思いも「祈り」といっていいのかもしれませんし、心を静かにしてお御堂で祈ったり、無心で仏様や神社に向って頭を下げることによって得られる心のリフレッシュが「魂の奥底の宗教体験」といっていいのかもしれません。大学に入った時、「キリスト教概論」の授業で先生が「イエス・キリストを知った人は潜在的なクリスチャンだ。」と話されたことをよりどころに祈る対象は何でもいいといってしまえば、カトリックからは異端とされても仕方が無いかもしれませんが、根っこはハッキリしているので良しとしてもらって、イエス様が言っているように、「困っている人に良くすることは、私にしてくれることだ」との言葉を意識しながら生きること、仕事をすることが「祈り」に通じると考えていきたいと思います。松永司教様はこの本の信仰の部の末尾に、「お祈りを、お祈りの心を、お祈りの生活を深めていくことが、信者としてなによりも根本的であることを心にとめてほしいと思います。そしてお祈りのうちにキリストのよきあかし人としてご活躍なさるよう、心から期待します。」と結ばれています。

 松永司教様の急逝をしらせるHPに、「福岡教区司教に着座した時の司教紋章の標語聖句に「キリストの満ちあふれる豊かさに達するために」(エフェソ4・13)という聖パウロの言葉を引用」されていると記載されていました。

 「祈りと秘跡」松永久次郎著 聖母文庫 525円

えくれしあ40号 h18. 7