Drifting too far − 34

アメイジング・グレイスの世界


 「アメイジング・グレイス」という歌を知っている方は多いと思います。いろいろなバージョンがあり誰の歌が好きかは好みの分かれるところでしょう。私にとってはジュディー・コリンズのものが気に入っています。カントリーやブルーグラスのものと違い普通に聞くバージョンですが他の人の歌とは違ってすんなりと心に入ってきます。黒人霊歌として聞くとすればマヘリヤ・ジャクソンやオデッタのもので地の底から湧き上がってくるような力強さはどのように表現すればいいのか分からずただただ頭を垂れて聞き入ることしかできません。
 この歌は悪辣非道な人間でも救ってくれる神の恩寵の素晴らしさをうたっています。迷った1匹の子羊のために、また欲にくらんで何も見えなくなった者にも光をもたらしてくれるといった内容を歌っており、前職が奴隷商人であった白人の牧師さんが1772年に作詞したものです。当時のアメリカ南部では奴隷制の全盛時代です。この歌は讃美歌にも入っているため白人黒人問わず広く歌われています。
 今日、自由人の黒人が逃亡奴隷として拉致され、救済されるまでの12年間を奴隷として過ごした自伝に基づいて映画化された「それでも夜は明ける」を見ながら、少し前に読んだ「ゴスペルの暗号〜秘密組織「地下鉄道」と逃亡奴隷の謎」の中の情景が思い出されました。この映画の中で奴隷が鞭打たれ、性奴隷とされ、平気で殺されていく様子が描かれています。また奴隷所有者が聖書を読み聞かせているシーンもありました。「アメイジング・グレイス」がつくられて100年ほどたった時代では、作詞者が金儲けのために自分たちの祖先を奴隷として運んできていたことは知らないと思います。詩の内容の様に神からの恩寵に期待を込めて歌っていたと思います。主人の意のままに命も左右される彼らにとってそうした境遇から逃れることの恵みこそが神からの恩寵だったといえます。平和な生活をしている私たちにとってはこの歌はきれいごとの世界の話で済むでしょうが奴隷である彼らにとっては切実な問題です。ただ神の恩寵とは死への憧れを意味していたといえます。私たちもよく知っている「聖者の行進」も同様です。聖者とは死者を意味し、行進とは楽隊を先頭にして町中練り歩くお葬式の行列を意味しています。死なない限り今の苦しみから救われないと言った死への憧れを歌っています。そうした背景があるからこそ同じ歌であっても黒人とそれ以外の人の歌とには大きな違いが出てくるのかもしれません。
 この映画の最後の字幕の中に主人公は救済されたのち奴隷解放に向けての講演活動とともに「地下鉄道」にも協力したとありました。黒人霊歌の中には南部から北部またカナダに向けて逃亡するための方法などの暗号がちりばめられたものがあったと言われています。その暗号に基づいて逃亡した奴隷を乗客として手助けする組織が「地下鉄道」と呼ばれていました。代表的な歌が「Follow The Drinking Gourd(北斗七星を目指して)」です。この歌は船乗りであった作者が南部を巡りこの歌を広めてきたと言われています。夜明けにうずらが鳴いたらそれが逃走開始の合図で、北斗七星を目指して行け、そしたら自由に導いてくれる老人が待っている。分かれ道に来たら枯れ木の根本を探ると進むべき方向に釘が打ってあるなどの内容となっています。暗黙の裡にそうした説明が伝えられてきたのでしょう。この歌は前掲の「地下鉄道」を読んで知り、ユーチューブで探して聴いたものです。そうすると地下鉄道についての解説ビデオが沢山ありました。その中の一つでRichie Havensの力づよよぃ歌を聴いて感激しました。また「Follow The Drinking Gourd | Slave Escape Song by Peg Leg Joe」ではこの歌の解説とともに無伴奏で女性が歌っていますが、こちらは素朴で好感の持てるものでした。地下鉄道関連のこうした暗号が隠されている黒人霊歌として、ディープ・リバー、漕げよマイケルやスウィング・ロー、スウィート・チャリオットなどがあり、学生時代から聞き慣れたものですがこうした逃亡のための暗号として聞き直してみると人間の知恵の素晴らしさ、また人としての生き方を感じるとともに、人間は一人で生きているのではないとの思いを強く感じます。
 外国人の問題にしても、私たちの知らない様々な分野で活動している人たちがいます。一方ではそれを求めていながら見つからず嘆いている人もいます。「金の切れ目が縁の切れ目」とか、「年を取った、病気になったので打ち切り」とならないように「地下鉄道」のようなネットワーク造りをしていく必要性を痛感します。