Drifting too far − 24 

「真夏のオリオン」

 先日臓器移植法改正のA案が衆議院を通過しました。これがいいのか悪いのかはそれぞれの死生観により判断すればよいことかもしれません、しかし人間の命の火が消えるのを機械の判定に頼るというのも時代の流れかもしれません。従来、人の死とは、まさに命の火が消えることを意味しており、三つの兆候により判断されてきています。自発呼吸の停止、心臓の停止、瞳孔散大の三つで将に火の消えた状態そのままです。機械やパイプに繋がれて延命され、脳死と判断されたとして、死の瞬間は何時になるのでしょうか。医師が脳死と判断した時点でしょうか、それとも家族がそれを受け入れ全ての医療行為を停止したときでしょうか。移植のための脳死判定ですから曖昧にならざるを得ないとすれば人の死の判定というよりも臓器を保存するための儀式ということになれば死後の人間は材料置き場でしかないのかもしれません。臓器移植がいいのか悪いのか、臓器の売買がいいのか悪いのか様々な問題があります。私の中では、頭の中と心の中とでは思いが逆方向を向いています。信仰の世界にしても頭の中と心の中がイコールではないし、曖昧なまま流れて状況に応じて考えを決めるのでもいいのかもしれません。法律で脳死が人の死となれば医師が脳死と判断した時点で保険診療は終わり、遺族が数日納得しなければその後の費用を保険者に請求されたら困ったことになります?
 こうしたことを漠然と思っているとき、偶然「真夏のオリオン」という映画を見ました。他の映画をと考えていたら丁度良い時間のものはこれしかないし、招待券も後数日で終わるので戦争映画というのは分かっていましたがどのような内容か知らないまま見ました。しかし、内容は素晴らしく目頭の熱くなる思いの映画でした。駆逐艦と潜水艦の戦いを描いていますが、両者の駆け引き、息をつく間もない死闘、ストーリー展開の面白さよりも「命」とは何かということを訴えている映画ではないかと思えました。
 物語の始まりは今の時代で、潜水艦の艦長の孫倉本いずみのもとにアメリカの駆逐艦の艦長の孫から一枚の楽譜が届き、その楽譜がなぜアメリカにあったのかという物語を紐解いていきます。その楽譜の題名が「真夏のオリオン」であり、楽譜の後に、「オリオンよ、愛する人を導け。帰り道を見失わないように」とイタリア語で書いてありました。これは倉本艦長が出撃する際に恋人がお守りとして渡したものですが、何語で書かれているのかは分からないまま戦闘中に軍医によって解読されます。
 海上と海中との戦い、その間に時折挿入される倉本艦長と彼女のこと、そして潜水艦の中での様子が描かれていきます。両艦長の言動は軍律上ありえないことでしょう。また倉本艦長の優しさは現代のテレビドラマをみるようで緊迫間を殺いでしまっているといわざるを得ません。昔の同じような映画「眼下の敵」はピンと張り詰めた厳しさが感じられたように思いますが、同じ状況下であっても倉本艦長の厳しさを感じさせずのんびりした雰囲気の中に命の大切さを感じさせる効果があるのかもしれません。この戦いの中で倉本艦長は始めて部下を一名失うこととなり、またスチュワート艦長も始めて部下を失ったのかもしれません。この自責の念から二人とも戦後毎年開催された戦友会には参加せず、戦争の話は一切しなかったとされています。戦争である以上、敵を殺さねば自分達が殺されてしまいます。そのための死闘を繰り広げながらも倉本艦長は部下の命を守ることに全力をあげています。人間魚雷回転の乗組員を乗艦させながらも過去一度も発進させることも無く、また今回も命の大切さを説き発進させることはありませんでした。最後には潜行不能となり、無人の人間魚雷回転を発進させることで敵を欺き最後の魚雷を敵艦艦尾に命中させ航行不能にしながらも敵艦の目前に浮上せざるを得なくなります。倉本艦長は「総員離艦用意」の号令を下すも誰一人として離艦用意をする者はなく、艦上に一列に整列し敵艦の砲撃を待ちます。死んだ仲間への義理でしょうか、それとも日本海軍の訓練の賜物でしょうか。しかしこの時には両者とも既に日本が敗北宣言をし、戦争が終わっていることを知っています。それでも降伏の意思表示をしない以上砲撃される危険がありながらも・・。後年、スチュワート艦長が息を引き取るときの様子を彼の孫が報告しています。「息を引き取る数時間前、祖父は病床に駆けつけた私達の目の前で、突然、自ら点滴の管を引きちぎりました。その目は見開かれ、じっと天井を見つめていました。いつでも穏やかだった祖父のそんな険しい顔を、私はそれまで見たことがありませんでした。きっと祖父はその時、「最後の決戦」に望もうとしていたのでしょう。誰の力も借りず、自分という人間に残されたわずかな命の力だけを武器に、正々堂々と敵に立ち向かおうとしていたのではないでしょうか。」
 命とは二人のように他者との関係を生きることでしょうか。単純に無から無へのひと時が命なのでしょうか。永遠の命を得るとはどのような生き方でしょうか。ただ今生きていることだけは確実ですが・・。