Drifting too far − 2

 キリスト教との出会いとなると中学1年が終って長崎市に移り住んでからということになります。長崎の町はその歴史からあらゆる場所でまた町全体の雰囲気として無意識の内にキリスト教を感じさせてくれるといえます。その一つに、長崎で最初に住んだ辺りでは聖母の騎士の神父さまが子供たちに「切手を交換しよう」といって声をかけ、外国の切手と日本の記念切手とを交換してくれていました。この神父さまは散歩がてらか、切手交換が主目的かは分かりませんが、切手を挟むノ−トを常に手にされていましたので何らかの資金獲得のための活動であったのかもしれません。

 長崎には、新地という中華街があり、寺町もあればグラバ−邸のような古い建物も沢山あり、ハタ上げ、精霊流し、お宮日とお祭りも多く、よそから来た人間にとってはチョト変わった面白い町と感じていました。この町で何の因縁か分かりませんがカトリックの高校に入ってしまったのがキリスト教との付き合いの始まりでした。新しい校舎の上にはマリア様が長崎港を見下ろしていますし、学校を運営する修道会の先生方の住んでいる建物はそれらしい雰囲気をもったゴシック調の建物でした。高校からは、大浦天主堂や長崎港が見渡せ、オランダ坂も通学路にあり非常にいい環境の中で3年間を過ごしましたにもかかわらず、カトリックがどっちを向いているのかは全く関心もなく、何も分からないまま過ごしたのが現実でした。卒業後、プロテスタント系の大学に入学し、修道士とプロテスタントの牧師さん達、また学校の雰囲気の違いにびっくりしました。大学ではキリスト教概論が必須科目でしたので、これを機会に、都合7年間キリスト教の学校に通いながらキリスト教のキの字も分からないようでは少々恥ずかしいかと考えて多少本を読み始めました。当時は学生運動真っ盛りであり、学内のチャペルには“Got ist tod”(神は死んだ。) とニ−チェの言葉が落書きされていた時代でした。アメリカでは「神の死の神学」などがはやっており、キリスト教概論の先生は、イエスは「大飯ぐらいの呑兵衛」と呼ばれている。これは母親が姦淫して出来た子供を指していると話されていたような記憶があります。プロテスタント新約学者ブルトマンもイエスの復活を「共同幻想」と一蹴していますし、イエスは処女マリアから生まれたと考えているプロテスタント新約学者はまずいないのではないかと思います。歴史上の人物としてのイエスに関心を持って本を読んできましたので、時代の傾向もあったでしょうし、反ロ−マ運動の過激派として死んだと考ええる方が面白いということもありしたし、未だにそれが真実に近いのではないかと考えています。福音書はイエスについての伝記的な形態をとってはいますが、ロ−マ帝国内で布教するためにはイエスがロ−マに対する反逆者では困るので各福音書記者の派閥に都合の良いようにイエスの言動を取捨選択し、それぞれの派閥の合わせて理論構成した書物に過ぎないといえます。当然、歴史書でもないし、世界の古典文学でもない。キリスト教徒にとっての信仰の書としての価値しかないといえます。イエスが過激派であろうと無かろうとどうでもいいことでしょう。邪馬台国論争と同じで史料が極端に少ないため素人でも好き勝手なことが言えます。福音書は歴史的な事実が記述されているのではなくキリスト教の信仰のあり方を示す神話をイエスの生き方に託した記述がなされていると考えなければならないといえます。それゆえいろいろな解釈が成り立つため、ロ−マカトリック教会が確立していく過程では、異端論争が盛んに行われ、現在の様な形になったといえます。しかし、一つの組織として確立すると当然弊害も出てこざるを得ず、カルヴァンやルタ−などのプロテスタント系、王の離婚問題に端を発した聖公会などが分離していき、今では救世軍やエホバの塔などさまざまな団体が存在しています。

 今、私は、カトリック教会の傘の中にいます。プロテスタント的な「神と私との緊張関係」が信仰のよりどころと考えていましたが、自分ひとりで正しい信仰が持てるのかとの疑問を持つようになりました。テニスを長年やってきて、また教えてきて感じることは良い指導者について、それぞれの体格や運動能力などに応じた指導をしなければ、変な癖がついてしまい上達も遅いし、いずれは壁にぶっつかってしまいますし、身体に障害が出てくる可能性もあります。また、日本舞踊や茶道の世界を見ても一定の形を繰り返し繰り返し行うことによって日常の動作として無駄のない流れるような形を作り上げることを目的としているのではないかと思います。古典芸能の世界も同様でしょう。カトリックのミサは一定の型を持っています。このミサの型を自然体で行うことが出来るようになるにつれて信仰というものを実感できるのではないかと考えています。カトリックの傘の中に入り、形を覚えることが私にとっては必要なときに来ていたのではないかと感じたためカトリックとの関係を持ったといえます。テニスと同じで基本の形を身につけなければ進歩もないとと思います。いわしの頭を信仰しても正しい形であればそれでいいのでしょうが、惰性に流される私にとっては嵐が来ても安全な繋留場所を確保する必要があります。安全な繋留場所・・・遠藤周作の小説「沈黙」の主人公?キチジロ−に共感を覚え、今の時代において遊びで踏み絵を踏めといわれれば平気で踏むことができる私はカトリック教会に繋留させてもらえるのか疑問を感じながらも、「親分はイエス様」のメンバ−ほどのパッションも持ち合わせてはいませんが、親分に引っ張られてきているのだから問題はないのだろうと思っています。

えくれしあ35号 h18. 2