Drifting too far − 19

長崎観光から殉教とは−2

 今回初めて長崎歴史文化博物館に行きました。といっても前回長崎に行ったときにはまだ出来ておらず平成17年11月に開館しています。海外への窓口としての長崎の歴史と文化を紹介しています。この施設での展示は、歴史文化展示ゾーン、長崎奉行所ゾーン、長崎歴史情報コーナーなどに別れそれぞれ関連の資料を展示しています。歴史文化展示ゾーンでは大航海時代、朝鮮との交流、長崎貿易など12のテーマで構成されており、私の興味を引くのは長崎の工芸の展示ゾーンでした。ここには長崎県内にあった古伊万里や古唐津の窯場の作品や陶片など沢山展示されており思いもよらず楽しむことができました。
 長崎奉行所ゾーンでは、長崎の政治的な中心であった長崎奉行所の一部を復元し当時の様子を展示しています。この奉行所がキリシタン弾圧を行ってきたのですが、表向きは信仰を捨て、踏み絵を踏み続けてきた隠れキリシタン達の信仰を根絶やしにすることはできませんでした。江戸から明治に変わる時に発生した浦上4番崩れという史上最大の迫害がそのことをよくあらわしています。これは、大浦天主堂建設されると浦上に住む隠れキリシタンたちが大浦天主堂を訪ねてきてプチジャン神父に信者であることを告げた2年後の1868年に彼ら浦上村の約3000人を捕らえ、各地に流罪とし5分の1の人が無くなったという事件でした。ひっそりと信仰を隠して生きてきていた状況から、一旦信仰を公に告白した以上、便宜的にも信仰を否定することができないのは当然かもしれません。26聖人の殉教は秀吉の禁教令から10年後の1597年であり、それから270年も後のことです。こうした長崎の歴史を表してか、都道府県の人口に対する信者の割合は4.4%(65,415人)と2位の鹿児島の0.54%(9,584人)を大きく引き離しています。ちなみに信者数でみると東京の95,362人(信者の率0.54)がトップで2位が長崎です。
 自分の信仰を表向きは否定し、殉教を回避しなければならないことは前号の「今月の言葉」に載せたルカ 第22章第31節から第34節の言葉、『シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」シモンが言った。「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」。』で示されているのではないかと思います。しかし、ペテロはローマでの迫害が強くなるとローマから逃げる途中で反対にローマに向かうイエスと出会い、ペテロが「主よ、どこへいかれるのですか?(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「もう一度十字架にかけられるためにローマへ。」と答えられたのを聞いてローマに戻って殉教したといわれています。イエスの十字架の時には弟子たちが一緒に捕まってしまえばせっかくできかかった組織が崩れ、イエスの教えが途絶えることを防ぐ目的があったかもしれませんし、ペテロの殉教の時は既に基礎固めも終わり組織もできていた状況ですから殉教によって信仰の結束を図るという意味での神話化かもしれません。指導者のおかれた立場と一般信徒の立場は違うかもしれませんが、全ての信者が殉教してしまえば組織は成り立たなくなってしまいます。殉教者の強靭な精神力と信仰心を見習う必要はあるとしても美化しすぎれば転んで信仰を守り続けた人たちを無言のうちに非難していることにつながってしまいます。26聖人の殉教を目の当たりにした浦上の信者さんたちの苦しみはどのようなものだったのでしょうか。「殉教は消極的な自殺か?」と悩む私は当然転んでしまうのですが、私の神様は「サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。」とヨブのときと同じように無邪気に悪魔と賭けをされました。困ったことだといっても「私は神様です。」と言って迫られるとただただ黙って頭を下げる以外ありませんね。デパ地下の試食品を楽しむように神様は私たちを常に試しておられますので心しておかねばなりませんね。これでは治療しなければいけないと思いながら放置することも、延命治療の拒否も消極的な自殺となると少々困ってしまいますね。 

 長崎歴史博物館のHP  http://www.nmhc.jp/