本 の 紹 介


ユダヤ人大虐殺の証人ヤン・カルスキ
ヤニク・エネル 著 河出書房新社 2200円



 ナチスによるユダヤ人大虐殺について詳しいことは知らなくても事実としてあったことは誰でも知っていることでしょう。アウシュビッツ収容所、アンネの日記、フランクルの夜と霧など・・。こうした事実は戦後広く知られることになりましたが、戦争中に、この事実を連合国に知らせるようポーランドの地下政府から派遣され命をかけてポーランドを脱出し、世界に知らせようとしたヤン・カルスキの書いた記録と、本人へのインタビューを通してナチスの行っている蛮行を連合国に知らせるまでの記録に基づいた小説です。ジェームス・ボンド並みの活躍と言っていいかもしれません。しかし彼の努力は受け入れられることも無く終ってしまいます。またアメリカ各地でどのようなことが行われていたか報告会数多く行っても関心を持たれるのはそうした事実ではなく艱難辛苦してポーランドを脱出した彼自身への関心でしかなかったことでした。彼は。「つまるところ、彼女たちの心を打ったのは、ヨーロッパのユダヤ人が絶滅させられるという事実ではなく、僕がひどく不幸せであることだったのだ。彼女達を感動させたのは僕であって、ユダヤ人の境遇ではなかった。ポーランドの境遇など、さらにどうでもよかった。」と述べています。こうした経験を通してこのインタビューまで口を開くことが無かったそうです。
 虐殺の事実よりも自分が関心の対象になったという報告から、マザーテレサも同じではないかと感じてしまいました。そう考えるとマザーテレサの言葉が痛烈ないやみを私達に投げつけてきていることに気がつきました。「愛の反対は憎しみではない。愛の反対は無関心である。」この言葉も、私達の喉もとに匕首を突きつけた言葉、「あんた達はきれいごとを言ってるだけだ。いい加減にしろ。」と聞こえてきました。ここでも紹介したルワンダ大虐殺にしても苦難を負った著者への関心・同情であり、大虐殺そのものに対する関心は全くヤン・カルスキが感じた言葉がそのまま当てはまるのかもしれません。所詮私たちは綺麗ごとの世界から悲惨さの漂う現実世界に背を向け、同情のまなざしで悲しげなふりをしているだけなのかもしれません。
 笛を吹いて踊ってくれなくても自分が崩壊しないようにヤン・カルスキのように口をつむるのも一つの方法かもしれませんが、マザーテレサがそうしなかったのは修道女という職業だからでしょうか・・