本 の 紹 介

海うそ

梨木香歩 著 岩波書店  1,500円


 この作家の名前はこれまで知らず、たまたま書店の新刊コーナーに平積しておかれ「南九州の遅島で繰り広げられる、魂の遍歴の物語」とあるのにひかれて読んでみたものでした。舞台となるのは南九州に位置する古代から修験道のために開かれ、一時は西の高野山と呼ばれるほどに隆盛を保っていたが明治の廃仏毀釈で忘れ去られたという遅島です。人文理学者の主人公がこの島の調査に訪れ、島の各地を探索中に経験したことを中心に、また数十年後に息子がこの島のリゾート開発会社の社員として仕事をしているところに再度訪れた中での経験が語られています。
 土地にはその土地特有の歴史があり人間の自然への畏れからさまざまな物語その土地独特の土俗信仰が形作られてきました。現在ではそうした話は荒唐無稽なものとして退けられてしまいますが、著者はそうしたものとのかかわりの中に人間のあり方を見ているのではないかと思います。鳥類によって種子が大木の枝などに付着して気根を伸ばし、最後にはその木を枯らしてしまうため「絞殺しの木」の別名もあるアコウの木の説明に続けて、「国というもの、人のつくる社会というものも、こうしたものではないか、とふと思った。何かの上に乗っかって、それを守るかのように法令をつくり、巷では暗黙の規則を張り巡らせて、乗っかったものは大きくなるが、気づけば中身は虫の息、それでも外側の機構だけは確実に成長を続け、形は崩れずなんとか持ちこたえている文字通りの形骸化。だがそれもまた、運命のしからしむるところなのかもしれない。虫の息でも、中身は当面、生きていられるのであるし。」これが生きるということなのかもしれません。しかしそうした中にも「・・ええ。応えるんです。ひどく応える。何か、確かに、以前あったもの、というものがある。その気配は十分に漂っているのに、それ自体は、根こそぎなくなっている。それは、私がここに来る前から「応えて」いたものの、続きなのかもしれないが・・。諸行無常、というものでは、何かとらえきれないもの」、「これは私の記憶なのか。それとも場所そのものの、島そのものの記憶なのか。場所の記憶が、島の記憶が私の意識に喚びかけ、働きかけているのか。」こうしたものが交錯して物語が進んでいきます。ギスギスとした、棘とげしい今の社会に生きる私達は、合理的な精神では割り切れない河童がいたり、狐に騙された時代の感受性豊かな生活を取り戻さなければならないのかもしれません。また著者の「家守奇譚」や「冬虫夏草」の世界に浸ると何かしら懐かしさを覚え、ホッとする気分になります。