本 の 紹 介

道元「典座教訓」
〜 禅の食事と心 〜
道元 著 藤井宋徹 訳・解説 角川ソフィア文庫 590円


 10数年前に「食う寝る坐る永平寺修行記」と言う本を読んだことを思い出しました。内容については忘れてしまいましたが、出家して永平寺での修行生活を紹介した本でした。永平寺は曹洞宗の本山で道元が開いた禅宗のお寺です。ここは、只ひたすら座るという「只管打坐」が特徴で、生活自体が修行と捉えているようです。一方の臨済宗は公案を通じて悟りを開こうとするものです。荒唐無稽な公案は考えて理解し、回答を出すことを求めているのではなく自分への捉われから脱却するヒントを感じ取ることを目指しているといえます。多少の違いはあっても日常の生活の中にこそ救いがあるというのが禅宗のスタンスといえます。解説の中に、「禅門の生活は、座禅、托鉢、作務を繰り返す。身体でもって悟れ、ということである。学問や理屈は、しょせん観念というわけである。だから典座の食事作りは、作務なのである。」(P86)とあります。そうした中での食事作りの精神として「ご飯を炊く、その釜は自分自身であり、お米や水は、わが心、わが血、わが命である。」(P49)、「わずか一本の茎、葉とはいえ、荘厳な大寺院となり、たとい小さな根っ子、米粒でもお釈迦様の大説法と変わらないのだ。」(P56)と説かれています。私たちが生きていくためには他者の命を殺さなければなりません。典座=台所担当の仕事は修行そのものであるため一般の料理人とは全く違う。当然それを食べる雲水は「単にわが身体を養うためだけではなく、心のバランスを量り、同時に、人々が心やすらいでくれるよう、祈りながらいただいている。これを禅者は、―上求菩提、下化衆生。と、いう。」と解説されています。
 禅宗での食事のあり方を通して禅の解説がなされている本といえます。優しく書かれた訳文に続き本文の描き下ろしと解説そして随時「修行定食」というコラムで14の精進料理のレシピが挿入されています。飽食の時代また自分の命を見つめ直すのにいい本でした。子ども時代に同じようなことを言われていたのを思い出します。