本 の 紹 介

カクレキリシタンの実像
宮崎賢太郎 著 吉川弘文館 2,300円


 隠れキリシタンについては禁教時代から明治の禁教前後の弾圧やその結果としての殉教などの漠然とした思い、また遠藤周作の小説を通じてその一端をうかがい知る程度の知識しかありません。しかしカトリック教会が殉教者の列福をしたことから天草の乱や禁教下のキリスト教について関心を持ちました。同時に殉教については単純に聖職者が殉教するのは職業人として当たり前のことだが、一般信徒は信仰を伝承するためにも転んででも生き続けなければならないと思いが強くなりました。殉教者よりも隠れて信仰を守り通した無数のまた無名の隠れキリシタン達こそ信仰を守り通した功績から称えられるべきでしょうが、そうした空気はカトリック教会にあるようにも思えません。
 今のキリスト教は、殉教者や隠れキリシタン達とは全く無関係で、明治以降来日したカトリックの神父やプロテスタントの牧師たちが新たに種まきをした結果です。大浦教会のプチジャン神父のもとに隠れキリシタンが現れ、一部はカトリックに合流したのは例外であって、それ以外は隠れキリシタンを続け今日では消滅危惧種になっているのが現状なのかもしれません。
 この本は、「命を賭して信仰を守り続けてきた」といった美化された幻想は誤りであり、キリスト教とは全く無関係な仏教や神道また自然崇拝が混交した土俗信仰にすぎないと解説しています。隠れキリシタンの信仰の中心は祖先崇拝であり、現世利益を求めるものであり、キリストの神や聖人がオラショの中で唱えられていてもマリアは安産の神様とみられていたり、とその内容はキリスト教と異なることなどが述べられています。またキリスト教改宗についても領主の号令下に行われたもので信仰内容を理解した行われたものではなく、オラショも伝承されるうちに全く意味不明の呪文になっていったとのことです。お饅頭を例にして皮の部分はキリスト教的な雰囲気があるがあんこは我が国独特の土俗信仰と説明されています。通説は必ずしも正しくないことまた日本の宗教のあり方についての認識を新たにさせてくれました。