本 の 紹 介


捨ててこそ 空也 梓澤 要 著 新潮社 2,000円


 芥川龍之介の小説羅生門の中に打ち捨てられた死体から髪の毛を抜いている老婆の話があったと思います。天災や飢饉で疲弊した京都では、社会の底辺に生きる人達が死ぬと葬られることもなく打ち捨てられており、そうした屍を集めて荼毘にふしたり、橋や井戸を掘ったりするいくつもの集団がありました。この様子に悲しみを覚えお金を渡して追善供養を望んだ皇族(後の空也)への返答として「それで死者の魂が喜ぶと?どこで習い覚えたかは存じませんが、それはあなた方身分あるお人の理屈にござる。あなた方はこの世の栄華を来世まで持っていこうとなさる。さらに栄華を望まれる。追善供養はそのためにこの世で犯した罪業を消し去るためでござろう。しかしながら、ここの骸どもにとっては、死はむしろ救いでしてな。苦しみから逃れられたのだから、ほっとしておるのですよ。それ以上は望みたくても望めぬ。来世の往生など考えたくても考えられぬのですよ。わしらはせめて、魂がこの世に怨念を残して逝かぬように、そのためにこうしておるのです。それが精いっぱいの、いや唯一の供養です。」その集団の長は応えています。死ねば苦しみから解放されて天国に行かれると歌う黒人霊歌「聖者の行進」よりも救いのない状況です。「眼の前にあっても見えない。見ようとしなければ見えない。わたしは何を見たか。何が見えていたか。何を見ようとしていたか。彼の言うとおりだ。わたしは何一つ見ていない。何もわかっていない。」と悟り、全てを捨て去って念仏聖となった空也の物語です。綺麗ごとの文句を並べず、ただ一言「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで救われると説き、後に教団を残すこともなく消え去ったぼろ雑巾の生涯を追った物語です。