本 の 紹 介


最後のイチコ 松田広子著 扶桑社 1,500円


以前、沖縄のユタになる過程を追った「神に追われて」という本を読みました。この本は沖縄宮古島のユタの記録でした。そこには神から逃げようとしても、さまざまな試練を与えられ、というよりはユタになることを拒否することに対する罰や恫喝といったもので、最後はあきらめてユタなるのですが、その関係は私にとっても神との関係を考えるうえで有益なものでした。キリスト教では、アブラハムが自分の子供を生贄に捧げたり、イエスも生贄とならなければいけなかったように信仰は切羽詰まったところでしか成り立たないものなのかもしれません。しかし私たちと神との関係はそうしたところを離れて、神と呼ぶかどうか別としてそうしたものからのメッセージをどのようにして私たちが感じ取り、活用していくかといったところにあります。私自身も含めて、この経験を通して神の存在を意識することになるといえます。そのためには自分の生活全般にわたることへの問題意識なり、必死さを持たなければメッセージを感じ取ることが出来ないかもしれません。それらを偶然と考えるか、摂理と考えるかはどうでもいいことでしょう。沖縄のユタはそれから逃れようとしても最後は神に従わざるを得ませんでしたが、この本の著者の場合は、全くそうしたものではなく、ごく自然にイタコになると中学生の時に決めイタコ修行に入ります。イタコについては、恐山の風景と死者の霊を呼び出して話をさせる口寄せということしか知りませんが、この本では、修行全般、オシラサマ遊ばせなどイタコの業務全般や普段の生業の説明や遠野物語の源流は津軽にあるなど著者の半生を通して紹介されています。こうした世界を無視することも可能かもしれません。霊が見えるという人たちも私たちの身近にいます。神を信じるのであれば当然こうした人たちや幽霊や魑魅魍魎がいて当然の話といえます。神様がいるかいないかどうでもいい話かもしれませんが私にとっては神と呼んでいるただいるだけの何かが存在しています。それに向かうことでさまざまな情報が得られているのも事実です。かすかに感じる存在をごく普通の小母さんの話としてお盆の気楽な読み物として面白いかもしれません。